虫のいい日々

あぶはち取らずと言われても、極楽とんぼで過ごしたい。
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2018年8月に読んだものメモ
  • 石井遊佳『百年泥』(新潮社,2018年1月)
     流されるように南インドのチェンナイに日本語教師として放り込まれた主人公の女性が、100年に1度の大洪水で出現した泥の山の中から出現するさまざまなものたちを媒介に過去や現在を語る。巻末のプロフィールによれば実際にインドで暮らしているらしい著者が書いた現地生活のこまやかなリアリティが、人を喰ったような大法螺とシームレスにつながって、あれよあれよと違うところへ連れていかれる疾走感。主人公にとっては扱いづらく厄介だけど、未経験なまま体当たりで進める授業を成立させるには不可欠な生徒でもある、ヒネた美青年ディーヴァラージが、どんどん魅力を増していく。第158回(2017年下半期)芥川賞受賞作。

  • 小田嶋隆『上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白』(ミシマ社,2018年3月)
     なんというか、理屈としてはとても分かりやすく順を追って筋が通るように第三者に向けて説明してくださっているのに、心情としてはほとんど追体験できないという読書を久々にした。アルコール依存症、大変。とはいえ、自分が連続飲酒しないのは、あくまでも体質的な制約による面が大きいという自覚はある。最終章でのネットを介したコミュニケーション依存の話でもそうだけど、お酒以外のものに過度にリソース取られて人生削っちゃってる人はいくらでもいるよな。ただ、なににも依存せずに生きていくということは、果たして可能なのだろうか、健康被害や社会的破綻が生じて初めて問題になるだけで、誰しもなにかにバランスを欠いた入れ込みようをしてしまうことはあって、しかし境界を見定めることの難しさは本書にすでに書いてある……とかなんとか考えているうちに、どんどん心がぐるぐるしてくるのであった。

  • ジョー・イデ『IQ』(訳:熊谷千寿/2018年6月,ハヤカワ文庫HM/原書:Joe Ide "IQ" 2016年)
     日系アメリカ人の著者58歳のデビュー作という情報はいったん頭の外に置いたほうがいいかもしれない、ラップとバイオレンスに彩られた、ロサンゼルスの黒人コミュニティを中心に回る物語。しかし主人公の黒人青年アイゼイア(IQ)は、そんな環境にあって古いジャズを好み暴力より知力で問題解決に当たる物静かなシャーロック・ホームズ型の探偵というのが、こちらのステレオタイプなイメージを崩してくれる。ワトソンっぽいポジションに入るギャング上がりの元同居人との、相棒と言っていいのかすら分からない殺伐とした腐れ縁だけど一蓮托生な過去を共有する複雑な距離感も面白い。ある出来事さえなければ、その頭脳を活かして裏社会とは無縁の人生を歩んでいたかもしれないIQの、現在のスタンスの根底にある倫理感が、その出来事によって補強されているという皮肉。短いエピローグは最初、「いまさらだよね」みたいなどうしようもない話をぽーんと出して諸行無常感を余韻として残す文学的構成なのかと思ってしまったんだけど、巻末解説を読んでそうではないと知り、次の巻が楽しみになった。


  • 白井恵理子『STOP劉備くん!! リターンズ!』第2巻(潮出版社,2018年5月)
     第1巻が出たとき、連載開始から単行本刊行までずいぶんかかったなと思ってたら、今度は続きが2ヶ月で出てるじゃないか。気付いてなかったぜ! 夏侯惇が「とんとん」って呼ばれるの可愛くない!? 可愛くない!? 諸葛瑾と馬超の組み合わせ新鮮。個人的に、白井先生が雑兵Aのこと「なんでも中途半端にできる」とコメントしてたの、ちょっと意外。なんでもできる超有能兵で、ときおりの失敗は周瑜をおちょくるためってイメージだった。そうか本気で偽りなく中途半端なんだ!〔初出『Webコミックトム』2015年7月〜2016年5月〕

  • 白井恵理子『STOP劉備くん!! リターンズ!』第3巻(潮出版社,2018年7月)
     劉備の玄ちゃん並みに孫子の兵法とか知らないので勉強になるわあ。そして第2巻の感想メモでは瑾さんとの組み合わせに受けてたけど、やっぱり馬超は姜維と一緒のときがいちばん好きかも。姜維くんみたいに「愚者がまた愚考を!」って私も誰かに言ってみたい(やめなさい)。あとがきで、白井先生が認知症のご家族を介護なさっていたと知り、そんな大変ななかで、のーてんきな武将たちの漫画を描けていた精神力に感服する思いです。あと表紙の剣舞する周瑜たんかっこいい。一枚絵のキャラの決めポーズがいつもすごく好き。〔初出『Webコミックトム』2016年6月〜2017年4月〕

  • 瀧波ユカリ『ありがとうって 言えたなら』(文藝春秋,2018年3月)
     瀧波さんのお母さまの末期癌が分かってからの経緯を描いた作品で、読むとつらくなるんじゃないかなって覚悟していたんですが、とにかくお姉さまとともに、体力も感情も振り絞ってやり切った感のある看取りで、胸が痛くなると同時にこういう言い方は失礼かもしれないけど、さわやかささえある読後感であった。お母さまの個性がとても強くて、きれいごとでない話も率直に語られているにもかかわらず、全部ひっくるめて人間味があって魅力的なかただったことが分かるようになっているのが、愛だなあって。〔初出『CREA WEB コミックエッセイルーム』2016年5月〜2017年10月〕
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2018年7月に読んだものメモ
  • ケイト・フォックス『イングリッシュネス 英国人のふるまいのルール』(訳:北條文緒・香川由紀子/みすず書房,2017年11月/原書:Kate Fox "Watching the English: The Hidden Rules of English Behaviour" 2nd Edition, 2004/2014年)
     各種の社会的区分に依存しないイギリス人全般における言動パターンの共通項を抽出しようという試み。会話の潤滑油としてのお天気話や、お約束としての謙遜などは、日本人同士でも「あるある」だよなーと思う一方で、やっぱり外部の者には永遠に分からんなーというような言葉の使い分けなんかもあったりして興味深い。序文のあとテーマ別に論考が進められるんですが、特に総括とかなく突然終わるなーと思ったら、なんとこれ前半部分(アマゾンのカスタマーレビューによれば正確には全体の約3分の1)のみの翻訳なのでした。最初に表紙とかで言っといてくれよそういうことは! 原書の無料サンプルをダウンロードして目次をチェックしてみたら、むしろ翻訳されなかった部分に(私にとって)面白そうな項目があるような気もするし、最後にちゃんと全体のまとめに割いた章もあるみたいなので、余裕があるときに読んでみたいかも。

  • 乾石智子『赤銅の魔女 紐結びの魔道師機戞陛豕創元社,2018年5月)
     最初は短編集のなかの1編の主人公だったのが、まるまる1冊が彼を主役にしている連作短編集が出て、今度はついに長編3部作開幕。著者にとってもリクリエンス(エンス)はよほどお気に入りなんでしょう。実際、結んだ紐で発動する魔術の設定なんてすごく面白いと同時に説得力があるし、エンスの魔道師らしからぬ身体能力や豪快な性格も魅力的。前の短編集では物語がいろんな時代にわたっていたけど、今回は祐筆のリコが存命の頃のお話で嬉しい。お爺さんだけど耄碌とは程遠く口の達者なリコとエンスのコンビ好きです。タイトルロールの魔女も荒んでいるけど強くて美しくてかっこいいぞ。エンスたちに出会って変わり始めたとこで、まだ彼女の思惑の全貌も分からないわけですが、続きが楽しみ。ほかの女性キャラも印象強烈で、今後お話のなかでどういう役割を果たすのか気になる。
     ところで、これを読むにあたって、前作の連作短編集『紐結びの魔道師』も再読したんだけど、リコが亡くなったあとのお話でヒロインポジションにいるニーナに、エンスは今回の長編に出てくる赤銅の魔女の面影を見たりとかしたんだろうか(髪の色が同じ)。


  • いとうせいこう+星野概念『ラブという薬』(リトルモア,2018年2月)
     いとうさんと、いとうさんのカウンセリングに当たっている精神科医の星野さんが、両者の合意のもと診察内容にも触れて公開前提の対談をするという企画。身体の傷を負ったときと同じように心に傷を負ったときにも病院に行こうよっていう導入から、認知行動療法の考え方や、精神科医と心理士の違いなどを紹介してくれたうえで、傾聴や共感というキーワードを経て、最終的には、いまの世の中の不寛容な相互監視の風潮、ネット上のとげとげしい言葉などにも触れ、「現実がきつい」すべての人によりそうような内容になっている。

  • 鴻巣友季子『翻訳ってなんだろう? あの名作を訳してみる』(ちくまプリマー新書,2018年6月)
     取り上げられている作品の傾向がバラバラで、それぞれの押さえるべきポイントも違っていて、あらためて言われると目の前がどんどんひらけていくようでとても面白い。たとえばエドガー・アラン・ポー作品の怖さは(ストーリーそのものだけでなく)文体に宿っているという解説にぞくぞくした。どの章もスリリングです。文芸翻訳を勉強した経験はないのだけれど、「翻訳とは“体を張った読書”」という表現は、ものすごく納得がいく、ような気がして膝を打った(しかし所詮は素人なので気がするだけかも)。あと、昔よく似た形式の別ジャンルのワークショップに参加していたときの空気が脳裏によみがえって、じたばたしたりした(羞恥で)。この本からうかがえる講師としての鴻巣さんは、とっても器が大きく徳が高いかたという感じがします。そして受講者の皆さんも優秀なのだな。

  • 倉数茂『名もなき王国』(ポプラ社,2018年8月)
     8月4日発売予定のものを、期間限定ウェブ公開で読みました。太っ腹PR企画。そしてその後、同じくウェブで公開されていた、本作品の舞台裏についての文章を読んで、もともとは個々の短編として書かれていた複数の物語をまるっとくるみ込んでしまう大枠を作ってつなげてしまうという本作の構成は、編集者のかたによる提案だったことを知りました。なるほど、プロの判断だと、そのほうが一般的な希求力は強くなるんだな、と不思議な感じがしました。というのは、私個人としては、鉱物標本のような粒よりの、幻想的だったり内省的だったりする物語たちは、互いに干渉しあうことなく標本箱にしっかり区切られて並べられているほうが、断然好みだったからです。標本箱のフレームそのものの上面に模様が描けるほどの面積って、必要かなあ、みたいな感想だったのです。
     ただ、大きな枠組みを伴い長編として完成したこの作品はこの作品で、互いに響きあうイメージ、ひとつのお話から別のお話にまたがる伏線など、緻密な計算に基づいて配置されていることがうかがわれ、楽しく翻弄されました。最後に向かって物語が突き進みはじめたときも、もしや欠けてるように見えたピースをきっちり理詰めで嵌めてきちゃうんだろうか、それかえって興醒めになるかも……と心配していましたが、読み終えてみたら脳裏には濃密かつ美しい情景が残りました。しかしやっぱり本音を言えば、初稿から削られたという4本(めっちゃ読みたい!)をも含めた「掌編集」として、第5章を独立させた書籍が欲しいです……。


  • よしながふみ『きのう何食べた?』第14巻(講談社,2018年7月)
     自分は炊飯器のおかゆモードで充分と思っていても、休日の朝食にはケンちゃんの乙女心を満たすためにビジュアル重視して土鍋で白がゆを作ってあげる筧先生すごくないですか!? 猛暑の日に読むと余計に心に響くわあ(って、たぶん作中ではそこまで暑い日じゃない、ふたりとも半袖だけど)。佳代子さんちのお孫さんが来年は小学生だったり、お墓の話題が出てきたり、ほんと容赦なく月日が読者と同時進行ですね。ズッキーニを浅漬けにして和風の一品として食べるって発想はなかった、やってみたい。
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2018年6月に読んだものメモ
後半から、古典新訳文庫の消化キャンペーンでした(って、3冊ですけど)。


  • 王谷晶『完璧じゃない、あたしたち』(ポプラ社,2018年1月)
     間隔の空くウェブ連載は毎回楽しみにしていたのに、全部まとめてさらに書き下ろしを追加した単行本は読了にずいぶん長くかかってしまった。バラエティ豊かすぎて1編ごとに頭がインターバルを要求するので。私、短編集読むのヘタクソだわあ……。さまざまな語り口、さまざまなジャンルで書かれた23の短編すべて、メインに据えられているのが女同士の関係。ストーリーがことごとく予想外な方向に転がっていくと感じるのは、もちろん着想自体が斬新に飛躍しているからなんですけど、同時に、いかに自分がこれまで、男女で物語が構成される既存パターンに染まっていたかってことでもあるのではないかって思いました。ウェブで読んだときいちばん好きだった「友人スワンプシング」が、再読してもやっぱりすごく好きで、なんだろうこの若い女の子ふたりがかもし出す潔さとせつなさとハードボイルドな感じ。

  • 山口恵以子『食堂メッシタ』(角川春樹事務所,2018年4月)
     店主がたったひとりで切り盛りする、こぢんまりとした本格イタリア料理店。こんなお店があったらいいよねっていう、夢と理想が詰め込まれている感じ。学生時代に偶然チェーン店でアルバイトしたことをきっかけに、本格的な料理人への道を邁進しはじめた女性が、惚れ込んだ師匠のもとで学び、彼の片腕となり、初めて自分のお店を持ち、そこからさらに先のステップに進む直前まで。ストーリー的には王道なので喰い足りない印象もないではないのだけれど、とにかく出てくるお料理がひとつひとつ詳細に説明されており、どれもとても美味しそうなので、そっちで満腹感。終盤になって、お店の常連のなかに本書の出版元の社長である角川春樹氏がいるという記述があり、こういったお遊びには好き嫌いが出るでしょう(私は実はちょっと引いた)。しかしやはりこの著者は、才能ある女性が突き進むさまを書くとき筆致に勢いがありますね。

  • 張愛玲『傾城の恋/封鎖』(訳:藤井省三/光文社古典新訳文庫,2018年5月)
     1943〜1944年に発表されたエッセイ3編と小説2編。1941年の日本軍による香港への侵攻が背景として色濃い。表題作タイトルの「傾城」には敢えて一般的読みとは違う「けいじょう」というルビが振ってあり、読んでみるとたしかに、いわゆる傾城(けいせい)の恋という言葉で想像するような、その恋によって城が傾くといった物語ではなく、逆に城市(街)が壊れていくことで初めて完成形になる恋愛といったような話なのだった。意地と欠落を抱えた者同士の保身的なやりとりがひりひりする。少女時代からの家族との確執を綴った苛烈で感傷的なエッセイ「囁き」の随所に挟まれるアイテムの選択も巧いなあと思う。巻末の解説も充実。
     〔収録作品:「さすがは上海人」《到底是上海人》1943年/「傾城の恋」《傾城之恋》1943年/「戦場の香港――燼余録」《燼余録》1944年/「封鎖」《封鎖》1943年/「囁き」《私語》1944年〕


  • ジェローム・K・ジェローム『ボートの三人男 もちろん犬も』(訳:小山太一/光文社古典新訳文庫,2018年4月/原書:Jerome K. Jerome "Three Men in a Boat: To Say Nothing of the Dog" 1889年)
     原書は1889年発表。新訳が出ていたので久々に。日本語で通読するのは初めてです。久々に読んでも、こいつらほんと自己中なことばっか言ってぐだぐだしてんなー。でも旅はなんとかなっちゃうんだよなー。
     前に英語で読んだときには、なにか元ネタがあるんだろうけどと思いつつスルーしていた事柄に訳注がしっかり入っていてありがたい。巻末の解説や年表も。この著者は、これまで作品だけ読んで、いったい19世紀イングランドにおいて、どのあたりのコミュニティにいた人なんだろうかと、不思議に思うことが何度かあったんですよね。解説で経歴を初めて詳しく知って納得。けっこう激しいクラス移動人生だった。あと、本作で「僕」がモンモランシー(犬)を飼っているということ自体が、執筆当時の現実の著者よりも上の階級に属するキャラとして主人公を位置づけるための設定だったという話など、わりと目からウロコな感じ。彼が本当にペットを飼い始めたのは、もっとずっとあとなんですね。
     それと、この新訳版の翻訳者のかたがあとがきで、丸谷才一先生による旧訳版へ思いをなかなか熱烈に語っていらっしゃるので、いまさらですがそっちも読んでみたくなりました(実は旧訳版もかれこれ20年くらい家にある)。


  • C・S・ルイス『ナルニア国物語 阻盻兒佞里い〜』(訳:土屋京子/光文社古典新訳文庫,2016年9月/原書:C. S. Lewis "The Magician's Nephew" 1955年)
     1960年代から読み継がれてきた旧訳版の個性が、古いということを差し引いても強いので、どう訳してもすごく雰囲気変わるのは予想していましたが、最初は読んでる途中でどんどん脳裏に旧訳の記憶が湧いてきて二重写しみたいになって大変でした。
     いちばんインパクトが強いのは、主役の子供たちの言葉遣いが、かなり現代寄りになっていること。ただ、このお話自体が、もともと「昔のできごと」なんですよね。作中でもほかの巻で老人として登場する人の少年時代だし、いまの読者から見ればなおさら時代設定が昔なわけだし。旧訳版に引きずられているだけかもしれないけど、個人的には、微妙に古臭いくらいがイメージだったなあと。そこはちょっと好みが分かれるかと思いました。あのですね、旧訳の「とっかえ!」が新訳で「チェンジ!」だったことに、正直ショックを受けました(笑)。でも新訳も、きびきびとした読みやすい文章。いまのお子さんには、こちらのほうがとっつきやすいでしょう。
     新しく付いたイラストも、どこかユーモラスな動物たちの表情やダイナミックな構図が印象的で、原書の緻密で美麗な挿絵をそのまま使っていた旧訳版とはまた違った魅力が。
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2018年5月に読んだものメモ
今月は読了できたものがとても少ないのですが、下旬に入ってから現在の視力に適合する新しい眼鏡を作ったので、来月はもうちょっと読める……かもしれない。


  • 阿部公彦『史上最悪の英語政策 ウソだらけの「4技能」看板』(ひつじ書房,2017年12月)
     大学入試の英語関連で予定されている改変については、私の視界に入る範囲ではプラスに評価している人がいなくて、私も詳しい変更内容は覚えていなかったものの、民間試験の導入という話だけでも、すごい混乱と不公平感を招きそう……という素人考えを抱いていたのですが、本書では具体的にどの辺がダメかという著者の意見が、有識者会議の議事録なども引用してツッコミを入れつつ解説されています。私は教育や受験産業については門外漢で、口出しする資格もないんですが、お若い人たち振り回されて大変だなあ、なんとかならんかなあという思いを新たにはしました。ただ語り口が、痛快で読みやすいけど、なんかこう「煽っていくスタイル」的な感じなので、しんどいときもあった(笑)。あと語学習得には本当に地味な努力が必要なんですよね、分かってるんですけどねって、ちくちく刺さってくるような記述も……。

  • 鳩見すた『アリクイのいんぼう 家守とミルクセーキと三文じゃない判』(メディアワークス文庫,2017年8月)
     印鑑の作成を請け負いつつ店主の手作りスイーツも提供している「有久井印房」に引き寄せられてくるいろんなお客さんと、ハンコのエピソード。この店にはなにか特殊な磁場でも働いているのか、各話の登場人物同士があまりにも相関していて、誰もが誰かの知り合いだったりするものすごく世間が狭い世界です。
     第1話の、お前も実印を作れば分かると言い残して会社を辞めた同僚……ってところから「印鑑を登録しようと役所へ行ったらすでに自分名義の実印が!? それは社員の名前を不正使用する会社ぐるみの犯罪だった!」みたいなのを思い浮かべてたら、全然違ってさわやかに前向きな話だったので自分のデフォルト発想の殺伐具合を思い知ったのですが、かといって実際の本書がほんわか一辺倒というわけでもなく。みんなそれぞれ背負うものがある。
     ここ最近、書店の平台を観察しているかぎりでは、ラノベを読みなれた大人向けっぽい感じのレーベルで「お店」を舞台にした連作短編集みたいなのやたら多いなって感じているんですが、そのなかでこれを手に取ったのは、まあカバーのアリクイおじさんのインパクトですよね。しかし読み進めているうちにだんだん気になってくるのはアリクイよりもむしろ、なぜこの地域はやたらカピバラの影がちらついているのかということです。続編で明らかになるのでしょうか?


  • 鳩見すた『アリクイのいんぼう 運命の人と秋季限定フルーツパフェと割印』(メディアワークス文庫,2018年2月)
     ……と、いうわけでさらに読んでみたシリーズ第2弾。相変わらずこのお店の周辺は、すごい偶然で誰かが誰かの知り合いである。まあそれはともかくカピバラそしてカピバラ。やっぱり本人(本カピバラ)は淡々と地味な仕事してるように見せかけつつ、実はこの地域で暗躍してると思うんだ。
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2018年4月に読んだものメモ
  • ケン・リュウ編『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』(訳:中原尚哉・他/早川書房,2018年2月/原書:"Invisible Planets: Contemporary Chinese Science Fiction in Translation" Translated and edited by Ken Liu, 2016)
     表題作の英訳版のみ読んだことがあった。あと劉慈欣「円」のもとになった長編『三体』英訳と。日本語だと固有名詞に漢字が使えるので分かりやすくていいですね。英語からの転訳ということだったので、どうなんだろと思っていたけど、中国当局の検閲対策で入れなかった記述を、英訳版で補って作者が本来意図したかたちにした作品もあると知って、考えを改めた。
     7人の作家による13の短編と、収録作家3名によるエッセイ、自らも評価の高いSF作家である編者の序文が入った、バラエティ豊かな構成。どれもアプローチの角度がさまざまで、これまであまり紹介されてなかっただけで中国でのSF文化がいま、すごく楽しいことになっているのだということが垣間見える感じ。英語版のほうの表題作だった郝景芳「見えない惑星」がすごく好みです。子供視点で遠隔操作ロボットがいる生活を描いた夏笳「童童の夏」も印象的。夏笳の3作品はどれもたいへん面白く感じたので、もっと読みたいなー。「円」は、ああ、この回路を作るとこを切り取って短編にしたのか、と。長編のほうを読んだときも(計算対象や登場人物や帰結が違うけど)インパクトが強かった部分でした。


  • 若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社,2017年11月
     あらすじ紹介文を読んだときにはまったく想像もしなかった面白さで、どきどきした。独り暮らしの74歳女性の日々の生活描写と人生振り返り、そしてモノローグが、こんなにも苛烈で饒舌で繊細かつ豪快で、たたみかけてくるような迫力がありつつユーモアと終末を見据えた静かで力強い明るさにも彩られているなんて。しかし作中で多用されている東北弁のリズム感が肝要な気がして、脳内で一文、一文、音読しながら読み進めざるを得ないのだけれど、その東北弁を関西出身者の私は本当は正しく脳内再生できてないはずなので、そこは悔しい。第158回(2017年下半期)芥川賞受賞作。

  • 三浦しをん『広辞苑をつくるひと』(岩波書店,2018年1月〈非売品〉)
     先に白状しておきますが、非売品で、借り物です。『広辞苑 第七版』紙バージョン(上記タイトルからのリンク先はこれにしました)の予約特典だったそうです。こんなの付いてたんだ! 辞書作りに携わる人々を描いた小説もヒットした三浦さんが、『広辞苑 第七版』が完成するまでの語釈の見直し、製函、製本など5つのジャンルの現場を取材。前々からこの著者の「お仕事の裏側レポート」的なノンフィクション作品が、私はとても好きなのです。軽やかな文体と、インタビュー相手への敬意が両立していて。今回も広辞苑の裏側にそれぞれの専門分野でトップクラスのプロ意識を発揮する個人の存在が感じられてとても面白かったです。国語辞典としての内容だけでなく、めちゃくちゃ分厚く重く長持ちして隅々まで作りこまれた本という「モノ」としてのすごみも分かってきた(とはいえ、実際に使うことを考えるとやっぱり自分は電子版がいいなあとも思ってしまうのですが……申し訳ない)。

  • 中島京子『樽とタタン』(新潮社,2018年2月)
     子供の頃、学童保育代わりに毎日通っていた喫茶店で、指定席の「樽」から見た、常連だったりそうでなかったりする大人たち。ちょっと不思議で不可解なやりとりも、幼い心に刻み込まれた遠い記憶の回想という衣をまとえば、本当のことなのかそうでないのかの境界もあいまいに。あえて明快な種明かしをしないのが心憎い。大人たちと、主人公のあいだの、暑苦しく干渉するわけではなく、しかし見守ってはいる距離感もなんかよい。

  • コリン・ジョイス『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(訳:鍛原多恵子/NHK出版新書,2018年1月)
     もとはNHK「ラジオ英会話」テキストに掲載されていたコラム。かつて日本に長く住んでいた英国人の著者が2つの国をフラットに評価し率直かつ気楽に愛を込めて、先入観やイメージで捉えていると見逃すようなことをちょこちょことコメント。日本在住時に、日本で暮らす上で不満な点などに言及すると、日本を嫌っていると短絡的に誤解されることがあったという話には、同じ日本人ながらひどいなと申し訳ない思いがしました。日本人だって日本での生活のなかで愚痴くらい言うよねえ。
     本書で紹介されている1974年の子供向けテレビ番組『Bagpuss』、初めて知ったけど、YouTubeで観られるとあとがきに書いてあったので探してみたら、すっごい可愛かった。こんな手間隙かかりそうなストップモーションアニメーションを毎週放送してたんか。


  • 井上純一『中国嫁日記』第7巻(KADOKAWA,2018年3月)
     書き下ろしとウェブ掲載分の時期がすごいずれてて戸惑う(笑)。月さんのご家族との交流、故郷への訪問、その故郷での子供時代の思い出話などの比重が大きくて、月さんのバックグラウンドがよく分かって興味深い。ここからジンサンと出会うのって、奇跡的よね。

  • あしべゆうほ『クリスタル☆ドラゴン』第28巻(秋田書店,2018年3月)
     もう本当にどっかできちんと時間を取って、全巻まとめ再読しないと。話についていけてなくていろいろ読み損なってる自信がある。しかしグリフィスの苦労人っぷりが不憫。この人、どんどんヤバい感じになってってる故郷に戻ってやっていけるの?

  • 獸木野生『PALM 40 Task V』(新書館,2018年3月)
     これまでの大前提だったジェームスとアンディの超自然的な関係性が方向転換しているとはっきりしたことに衝撃があった。今後これがどういう意味を持ってくるのか……。物語の舞台はいまよりだいぶ前の時代なんだけど、ジェームスが目指す世界はむしろいまの視点で見て現代的な課題であり未来志向でもあり、しかし実はこの時代からすでに、問題はたぶん見る人が見れば社会に表出していたのだなというようなことも考える。「アリス」の存在とかは、SF的でもあるよね。改めて、すごく不思議な感覚がもたらされる作品であると思う。

  • 益田ミリ『今日の人生』(ミシマ社,2017年4月)
     ともすれば見過ごしてしまいがちな日常のちょっとした気持ちの動きの記録、という意味では、ツイッターの140字みたいなものに近いかも(まあツイッターの使われ方も人によってさまざまですけれど)。そういったものをすくいあげて、共感が得られるように表現していくにも技術がいるよねってことを考える。あと、著者ご本人にとってはすごく大事な人であるはずの「彼氏」さんまでもが棒人間として描かれているのが、勝手な投影かもしれないけど照れを感じて微笑ましかった。序盤と終盤のお父さんネタの対比にちょっとしんみり。
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