虫のいい日々

あぶはち取らずと言われても、極楽とんぼで過ごしたい。
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2年が経ちましたね
「あの日」からちょうど2ヶ月後に書いて某所にアップしようとして、結局あれこれ逡巡したすえに出さなかった英文があったのを思い出して、読み返してみた。ああ当時はこんなふうなこと考えて言語化していたんだなあ、と。そしていまも基本的な状況は、変わっていないのかもしれない、なんて。

このときの気持ちを覚えていたいという意味で、いまさらだけど公開してみます(日本語で書きなおす気力がなくてすみません、あと、おかしなところあっても見逃して!)。東京都にいる私は、ともすればうっかり、平穏な生活が戻ってきたかのように錯覚してしまいそうになるけど、でもね……というのを、忘れないようにしなければと思う。

【3/29追記】意外にもスルーせずにいてくださるかたが複数いらっしゃって申し訳ない気持ちが出てきたので、日本語訳もつけてみた(むしろすでに原文で読んでくださったかた、ごめんなさい、みたいな感じになったかも)。最初から日本語で書き起こしてたら、同じことを言うのでも私はこんな書き方しないよなあって思いながらの作業だった。あと、自分が書いた文章を和訳するために、けっこうちょくちょく辞書を引いた……。


Two Months After the Earthquake
(This text was originally written on May 11, 2011.)


Two months have passed since the 2011 Tohoku earthquake (officially named the Great East Japan Earthquake) and I still have the feeling that this cannot be real. Of course it's real, idiot, how can I say it's not? It's just that I yearn to make believe nothing devastating has ever happened. So many people killed, so many homes destroyed, and then as if we needed more, there were those nuclear plant accidents in Fukushima.

To be honest, I had never thought seriously about the electricity we use in Tokyo until then. We Tokyoites had been provided with abundant supply of electricity generated (at least partially) in nuclear plants, and those nuclear plants weren't even in Tokyo. However involuntarily it could be, the fact is that we had been endangering the people in faraway rural areas while enjoying our urban or suburban life.

I spent these two months feeling guilty about this, and feeling guilty for not suffering enough from the earthquake. It's not rational, but I couldn't help it. Why them and not us... not me?

I have learned through the Web that many people who survived the disaster are feeling the same way. Oh yes, there were relatively small damages that we did suffer from. After all, for most of us in Tokyo and the surrounding Kanto area, it was the largest earthquake in our whole life. We were shaken up both literally and mentally. As for the first several weeks after the quake, we had to endure some inconveniences including lack of groceries and intentionally caused blackouts due to power shortages. We feared in the dark that there would be hideous aftershocks, maybe yet another "Great Earthquake" in Kanto as well.

However, all those minor stresses hardly helped to lighten up my sense of guilt. I felt powerless. I have physical disorder and no job. After saving the amount needed for hospital expenses, the money I felt feasible for donation was so scarce as compared to that of other people. I can't even be a blood donor for the injured because I have been regularly taking medicines which affect my blood ingredients (and in addition, I have anemia due to my illness so I won't qualify for a donor anyway). What could I do then?

Meanwhile, people were saying "We must go back to normal life!" over and over again. If we, the less suffering lot, keep on suppressing our daily little pleasures by self-restraint because we feel guilty, it would just make things worse since our economic activities will then never recover from the already induced stagnation. Without economic revival, support for rehabilitation in the disaster sites is impossible.

So, here's the conflict. Gradually, our town has begun to return to its normal state, regardless of whether its inhabitants as individuals feel guilty or not. It's the right thing, of course, but at the same time, it feels terribly wrong.

Feels wrong because we know.

Yes, we know. Two months after the Great Earthquake, we now live our almost normal lives in this superficially recovered world. Yet we know that there are still countless number of disaster victims in Tohoku and partial Kanto areas –– still unable to sleep in private, lacking basic supplies, exposed to the threats of radiation, maybe crushed by grief and despair, struggling to get on, or just being exhausted to the extreme....

And, the depression caused by these thoughts itself induces another rise in my sense of guilt, because it's obvious I shouldn't be thinking as if everything is doomed like that. I have no right to feel depressed in their place; how arrogant am I? My emotions are going round and round... I have no idea when this cycle would stop.

Or, maybe it shouldn't stop.

For only by that way, I can remember. Remember always that I shouldn't take this apparently peaceful everyday life as granted. Remember always that something unfavorable might be going on under the surface, under the clouds of this social confusion. And last but not the least; remember always that I should be open-minded to any idea by which I can do something useful, although my power alone is so small.

***


〔日本語追加:2013年3月29日〕
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誰が彼女を責められる(女三宮の話)
(初出 1998.04.01)

 高校3年生のときの古文の先生はやたらと『源氏物語』が好きで、結局その1年間、古文の授業ではそればっかりやっていた。『源氏物語』をみっちりやれば、受験に必要な古文の文法くらい充分身についてしまうであろう、というのが先生の言い分。ま、結構真理だったかもしれない。

 私自身は当時、なよなよとした文体の源氏よりも『平家物語』とか『奥の細道』みたいにしゃきっとした和漢混交体っぽいスタイルのほうが恰好いいよなあなどと生意気なことを思っていたので、ちょっと不満だったりもした。この辺、実は今思えば死んだ実母の影響なのだが。

 とまれ、平安時代のお姫様というのは、とっさにかっこいい和歌が詠めたりして「(平安時代の基準での)都会的センスが身についてる」のが必須条件である。だもんで作者の紫式部は、主要キャラの引き立て役と定めた人々に関しては「なんか洗練されてない様」が分かるエピソードをこれでもか、これでもか、と連ねたりするのである。鼻の赤い末摘花なんかもう、こてんぱんだったよね。

 しかしそういうセンス悪い人々のなかでは少しだけイレギュラーな存在が、源氏の妃の一人「女三宮」ではないかと思うのだ。のちに不倫して、表向きには光源氏の子である赤ん坊を産んだあと出家しちゃう人。光源氏の奥さんたちの中でもダントツに身分の高いこの女の子が正妻の座を得たために、紫の上は心労のあまり病気になって、それでも死の床で「おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露」なんて比喩センスあふれる和歌をさらりと詠んだわけである。

 女三宮以外の登場人物で、作者から「センスないやつ」という烙印を押されている人というのは確か大抵、田舎育ちだったり、身分が低かったり、容姿に恵まれなかったり、貧乏だったのでお姫様教育を受けられなかったりという設定になっているんだけど、この女三宮って子は非常に高貴な血筋をもっているし、見た目も末摘花みたいに悪かない。ずっと都育ちで、帝であった父親に溺愛されて贅沢三昧で大きくなった。環境的にはものすごく恵まれているのだ。なのに、今ひとつ垢抜けない。和歌もそんなに上手くないし、十二単の配色センスもパッとしない。ほっといたら猫抱いてぼーっとしてるだけ。

 それでも光源氏は、彼女の血筋に初恋の人、亡き桐壷の女御の面影を求めて、つい妃に迎えてしまう。どこをどう取っても良くできた奥さんである紫の上を悲しませてまで。そして結局、紫の上とは比べるべくもない女三宮の気のきかなさに嘆息してみたりする。

 例の古文教師(夕顔の君と紫の上のファン)などは授業中に、女三宮のことを「あのボンクラな奥さん」とまで言い捨てたものである。私の生みの母も、源氏物語の登場人物では女三宮を一番嫌っていた。

 でもね。高校時代の私は、女三宮が可哀相でならなかったよ。

 「才があっても身分などのせいで洗練された文化に触れることなく生涯を終える人も多かった時代に、せっかく恵まれた贅沢な環境にいながら全く自分を磨く努力をすることなく、のほほんと無自覚のまま大きくなって自業自得で不幸になっていく甘えた馬鹿女」が大嫌いなのだと、私の母は言った。

 でも、それって仕方なかったんじゃないだろうか。のほほんとしてちゃヤバいよ、ってことを彼女が悟る機会はなかったんだから。

 紫の上なんて人はね、幼い頃から既に「子供」じゃなくて「女」として育てられてしまっているんです。親から引き離され、光源氏のところに貰われてきて、じわじわと「妻教育」を施される。そんな環境の中で、もともとの利発さも手伝って、否応なく自分の立場を悟り周囲の期待に応え、数多い源氏の女たちのなかでも一番よくできた妻としてのポジションをキープするようになっていく。そうやって自分を磨いていかなければ、彼女の居場所はどこにもなくなってしまうんです。そのためだけに引き取られ、手間暇かけて贅を尽くして養育してもらっていたんだから。

 しかし女三宮は違う。

 目に入れても痛くないほどの可愛がり方をしてくれた実の父なら、彼女が利発であろうとなかろうと、無条件に彼女を受け入れてくれていただろう。女三宮はおそらく、「自分を高めていかなければ周囲に見捨てられる」というような脅迫観念は全くなしに大きくなっている。

 だから、彼女はどんなに戸惑ったことだろう。茫然としたことだろう。何も要求してくることなく愛情を注いでくれ蝶よ花よと育ててくれていた父が亡くなり、絶世の美男子と言われる人であるとはいえ、いきなり親子ほども歳の離れた男の妻にされる。男は冷めた目で、彼女の「女(つま)」としての「スペック」を計算している。彼女はそれまで一度だって、「愛されるべき父の娘」として以外のポジションに置かれたことなどなかったというのに。

 たしかに、あまり利発な女の子ではなかったのでしょう、女三宮は。少なくとも、自分を取り巻く環境の激変にすばやく適応してサバイバルしていけるほど要領のいい子ではなかったでしょう。だから、ただ茫然としているだけで月日が流れていってしまったのでしょう。それまで誰も彼女に「子供の時間はいつか終わるのだよ」と教えてくれた人はいなかったし、残念ながらそれを自分で悟ることができるほどカンのいい子供でもなかったのでしょうから。たとえ漠然と危機感を覚えても、どうすればいいのかが分からなかったのかもしれない。彼女は溺愛されて育ったがゆえに、とても無力な女の子になってしまっていたのだ。

 それを、どうして責められるだろうか。子供は、育てられ方を自分で選択できない。

 彼女はまだ、ついこの間、遅まきながら父の庇護のもとを離れたばかりなのだ。全ては、これから始まるはずだったのだ。なのに世間は彼女を、「源氏の妃となったからには既に完成品であるべきもの」と見なす。本当は彼女にとって、全てはこれからだったのに。

 多分17歳の私は、無力な女三宮に「無力な自分」を重ねていた。

 どうして、何もかもが思うように行ってくれないのだろう。どうして、何をどうやっても、周囲の失望を招いてしまうのだろう。どうして、私が私であることを、認めてもらえないのだろう。

 そして女三宮が「甘えた馬鹿女」だから嫌いだと言っていた私の亡母も、その馬鹿女に娘である私を重ねていたのではないか。不自由なく育てられたにも関わらず突出したところの全くない、どちらかというと頼りない雰囲気の子供でしかなかった私を。様々な期待を裏切ってこのまま平凡な人生を歩んでいく兆しを既に見せはじめていた私を。無力な女三宮に重ねていたのではないか。私には、そう思えてならなかった。

 どうして、私が今の私であるだけで充分だよと、誰も言ってくれないのだろう。

 けれどもきっと、たとえそう言われても無駄だっただろうな。私自身が、その当時の自分を今のところはこれで充分なんてちっとも思っていなかったんだから。

 けれども、それでも。「今のままのあなたが好きだよ」と言われたかった。未熟な部分もすべてひっくるめて容認してほしかった。

 もしかして、本当は容認されていたのだろうか? 母に聞いてみればよかったと、たまに思う。

 女三宮の前にはある日「柏木」という男が現れた。夫である源氏はいつも、彼女を他の気のきいた女達と比べて、眉をひそめる。けれども柏木は、今のままの彼女が好きだ。ただ女三宮には、自分の意志というものがない。柏木の激情に巻き込まれた形で、不義密通は続いていく。

 だって、彼女はいつもいつもいつも、受け身で生きてきたのだもの。一方的に自分に注がれる愛情を受け止めて、愚鈍で幸せな子供として生きてきたのだもの。そして今ここに、再び何を要求するでもなく今のままの自分に無条件で愛情を注いでくれる人が現れてしまったのだもの。しかしながら、もし柏木が「意志を持たない人形」としての彼女を好きだったのならば、それはそれで不幸な話だとも思うのだけれど。

 とにかく、だから女三宮には最初、事態の深刻さがピンと来ないで、余計に源氏を苛々させたりする。彼女はまだまだ子供でしかなかったから。そしてやがて、柏木は病死、彼女自身は不義の子を産んだのちに出家という結末を迎える。その時やっと、受け身だけの子供ではなくなって。

 なんて痛々しいんだろう。
 「子供である」こと、「未熟である」こと自体が、罪とみなされてしまう世界に彼女は住んでいたのだ。
 本当の少女だったのに。
 本当の少女だったからこそ、人生が始まった途端に隠居させられてしまったのだ。

 光源氏なんかさ、出家した女三宮から送られてきた和歌を見て「今になってやっと少し深みのある歌を詠めるようになったなあ」なんて冷静に批評してるんだぜ。しばいたろか、と思いません? 私は思ったよ。

 未熟な私を認めてください。
 子供であることを許してください。
 とても不器用な私だけれど。
 まだ、私の人生はこれからなのだから。

 多分あの頃の私は、女三宮に自分を重ねていた。
 あの頃の私自身が、とても未熟で、とても受け身だったから。
 とても受け身だったから、たとえ他人に認めてもらえなくたって、自分自身で自分を好きになって認めてやることができれば、人間なんとか生きていけるものなんだってことに、気づいていなかった。だから、誰かに認めてほしくて仕方がなかった。

 まあ今は今で、あまりにも「自分が納得してれば他人にはどう思われてもいいのさ〜」という思想が強化されすぎちゃってるような気もするんだけどね。幸か不幸か、あの頃の私に柏木のような人が現れなかったおかげで。

 だけど今でも、「女三宮」を思うときりきりと胸が痛いのだ。
 あの頃の、ガキ以外の何者でもなかったのに「ガキでいることは許されない」と思い込んでた私自身を思い出すから。そして本当は今でも、未熟で不器用なガキの部分が自分のなかにたくさん残っていることを知っているから。

 それでさあ、例の古文教師。私が源氏の奥さんたちの中では女三宮に思い入れしてるって言ったら、女三宮をテーマにした何かの講演会のテープをダビングしてくれたんだよ。親切だと思うでしょう。ところがその講演ってのが、「いかに紫式部が女三宮をボンクラ女として描写してるか」って話。分かってねーよなあ。

 ま、今では懐かしい思い出ですわ。


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歯の磨き方ひとつ取っても
(初出 2002.07.19)

突然ですが昔話をさせてください。アメリカ合衆国で小学生をやっていた頃、5 年生の終わりの初夏に、学年全体で(って 2 クラスしかなかったけど)2 泊 3 日のキャンプに行くことになりました。泊りがけの課外活動は初めてです。

出発前に、ひとことだけ、校長先生のお話がありました。具体的な言葉遣いはもう覚えていないけれど、
「今回のキャンプでは、初めて朝から晩までクラスメートたちと一緒に過ごして、不思議に思うことが多々あるでしょう。ものの食べ方、寝る前の習慣、あるいは歯の磨き方でさえも、お友達とあなたとでは、まったく違っているかもしれません。しかし、それがどんなに自分が見知っているものと違っていても、決して相手を馬鹿にしたり、批判したりしてはいけません。私たちはそれぞれ、異なったバックグラウンドを持っているのだから。では楽しんでいらっしゃい」
と、まあこんなかんじ。直訳調ですまん。

実際、いろんな子がいました。家庭の宗教・思想上の理由により、学校側が用意したご飯が食べられないから自分で持参したクッキー(私家版カロリーメイトみたいな高栄養価なやつ)で 3 日間食いつないでいる子とかさ。なんせ、親の仕事の都合などで渡米中の「英語を母語としない子供たち」を対象としたプログラムを試験的に実施しているモデル校で、さらにその年度からは母国語の読み書きさえおぼつかない難民の子供たち(いわゆるボートピープル)の受け入れ指定校にもなってたので、とにかくものすごく人種的・文化的に幅があったのです。米国そのものが、そもそもはほとんど移民の国なので、米国で生まれ育った子でも家庭内では先祖の国の生活習慣が残ってたりするし。

20 年以上経った今でも、なぜかあのときの校長先生の話を、ちょくちょく思い出します。特に「歯の磨き方でさえ」ってとこ(笑)。つまり、どんな些細なことでも、あるいはどんなに自分にとっては“当たり前”と思えることでも、他人がそれを同じように思っていたり、受け入れることができたりするとは限らないのだ、ということ。ある事柄に対する「正しいやり方」は、無数にあるのだということ。その差異は、生活レベルに染み込んでいるようなものであるほど、見えにくく、かつ根深いのだということ。

正直言って、私は人間が出来てないので、時々虚しくなるのですよ。私も普段は、ぽやーんと生きてるので、うっかり自覚のないままに、どこかで誰かに対して、なにかを決め付けてしまっているかもしれない。だからこそ時に立ち止まって、自分の言動を振り返ってみなければと思ってる。だけど、こちらが「バックグラウンドの違う人間同士で“常識”が違うのは当たり前。まずお互い悪意のないことを確認しましょう」という態度でいるときに、その相手がまったく歩み寄りの姿勢を見せずに、一方的な価値観で、がーーーーっとこちらを非難して、要求だけ突きつけてきたりするのなら、こちらが相手の思考を理解しようとしても泥沼化するだけなんじゃないだろうか、みたいな。

つまりそういう相手というのは、「そういう文化」に属する人たちなのだと、受け止めてしまえばよいのかもしれない。相手側は「自分と違う考え方が存在することを否定する」文化。そしてこちら側は、「自分と違う考え方が存在することを肯定する」文化。そういうふうに“相手を理解”すれば、相手側にもこちらに対する多少の理解を求める、今の私の気持ちは、変わってくるはず。そして今のこの状況も、「文化摩擦」から「単なる文化の違い」に押し戻せるはず。「他人の立場を考慮するかどうか」というのもまた、「歯の磨き方」みたいなもんなんだと思う。あー。えーと。意味、通じてますか。ただ問題は、「単なる文化の違い」で済ませていると、根本的なところは結局、解決しないってことだよなあ。こちらが黙っているうちに相手側から要求を延々と一方的に突きつけられつづける状況には、変わりないわけだし。向こうは多分、善意のつもりだから(そう思いたい)、余計に困ってしまう。

せっかく「ちょっといい話」風に書き始めたのに(そうか?)、抽象的な愚痴に終わってしまってごめんね。なんか調子悪いわ。しかし「歯の磨き方でさえ」っていうのは、マジであれから 20 年以上経った今も、わたくしの座右の銘でございます。

Posted at 18:50 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark