古屋安雄『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか 近代日本とキリスト教』

2007年から2009年のあいだにあちこちに掲載された論文や講演内容を収録。著者は、日本基督教団(プロテスタント)に所属する神学博士でいらっしゃいます。

アメリカからのプロテスタントの宣教師たちが日本本土に上陸したのが1859年だったそうで、この本が出版された2009年がちょうど「宣教150周年」という節目の年。それもあって、その少し前から「日本におけるキリスト教の今後」に対する提言というかたちでの発言がほうぼうから求められていたようです。

さて、実際に果たしてどの程度、「日本にキリスト教は広ま」っていないのかということですが、本書によると、韓国のクリスチャンは総人口の30%、中国では5〜10%(政府非公認の教会を勘定に入れるかどうかで数字が変わるみたいです)、そして日本では、0.8%だそう。まあたしかに、アジアの中では少ないですよね。

著者は、キリスト教が日本で根づきにくかった理由として、アジアのほかの国ではまず、貧しい労働者階級が宣教の対象となったのに対し、近代化の始まった日本で最初にプロテスタントの思想に接したのは、士農工商の「士」に相当する知識階級の人びとだったことを挙げています。

結果として、日本の教会は「武士道」を前提とした抽象的な神学議論が繰り広げられる、庶民にはいささか参加しにくい場所になってしまった、と。また、church の訳語として最初に提案のあった「公会」が却下され「会」が定着したことにも象徴されるように、信者が集うところは「教え」を授かる場すなわち「学校」のように捉えられ、現在でも信仰を生涯にわたって実践していくのではなく、頭で理論を突き詰めてひととおり納得すると「卒業」していく信者が多い、と。

実際、海外でキリスト教に接して入信したひとは、帰国後に日本のプロテスタント教会の礼拝に参加して、あまりの辛気臭さ(という表現はもちろん本書ではしてなかったけど、まあそういうことでしょう)に「葬式のようだ」とショックを受けることがあるのだそうです。

まあこの辺は、もしかしたら失礼ながらプロテスタント(あるいは日本基督教団)特有かも。個人的な話を書くと、私は物心つく前から14歳まで、亡き実母が信者であった関係で、英国国教会の流れをくむ日本聖公会の礼拝を比較的身近に感じて育ちましたが、小学生時代にアメリカで Episcopal Church(米国聖公会)の礼拝に出ていたときも、大人になってから本場イギリスで偶然、国教会の礼拝の場に居合わせる機会があったときも、「礼拝の雰囲気って、国や言語が変わっても基本的には同じなんだなあ」という印象を持ちました。

日本にキリスト教を広めていきたい立場にある著者は、こういった「日本の地味な礼拝に馴染めない信者がいる」問題については、福音派の教会を視野に入れるといいのではということを述べています。たしかに、13歳のとき誰かに誘われて福音派の礼拝に参列してみた聖公会育ちの私が、「テンション高すぎでしんどい」と感じたくらいなので、あっかる〜い礼拝が好きな人には向くかも(笑)。

改めて実感したのは、結局のところ宗教的活動を形成しているのは「人間」なのだという、当たり前の事実です。

同じ神を信仰しているはずの人たちだって、解釈の違いなどで細かい宗派に分かれてしまうし、文化的バックグラウンドや居住地域によって、信仰生活を維持しやすかったりしにくかったりする。はたまた、その時代のそれぞれの国の政治に翻弄された結果、同じであるはずの信仰を根拠として、国によって戦争に参加する人と兵役拒否をする人が出てきてしまう。

あくまでも「キリスト教を推進していく」側の視点から書かれている本ですが、宣教開始時の背景や武士道、そして天皇制や世界大戦との関係と絡めて、日本における(プロテスタント系)キリスト教の特性や特異な現状を読み説くという視点が新鮮で、信者でない人間にも興味深く読める内容でした。
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    コメント
    日本ではキリスト教といえば「人殺し」の宗教だというイメージがあるからではないですか?
    十字軍は言うに及ばず、アフリカの奴隷貿易もまず宣教師が先兵として奥地へ入って行った。キリスト教というのは、常に虐殺を行なってきた。
    現在でもたとえばイラクで、塹壕にかまえるイラク兵たちをブルドーザーで生き埋めにして惨殺したのもキリストの御名においてですよね。
    こういうおぞましい宗教は絶滅してほしい。キリスト教徒が地球上からいなくなれば、戦争もない平和な世界の実現に一歩近付くと思います。
    • 通りすがり
    • 2010/01/22 11:26 AM
    (一部、言い回しを修正したくなったため、2010/01/22 9:21 PM の投稿をいったん削除して再投稿しました。主旨はまったく同じです。)

    通りすがりさん、こんばんは。過疎気味の当ブログにコメントありがとうございます。

    頑張ってお返事を書いても、果たして戻ってきて見てくださるのかしら……と、ちょっぴり不安になるお名前なので、もし今後また何かご意見いただける機会があったら、そのときは何か適当なものでけっこうですので、ゆきずりっぽくなく名乗っていただけると、さらに嬉しく存じます。

    それはさておき。

    いくら信者の少ない現代日本でも、一般的なイメージとして“「人殺し」の宗教”とまではどうかなあ? というのが、私自身の認識です。

    おっしゃるように、たしかに、過去から現在に至るまで、さまざまな宗教戦争や魔女狩り的なものも含めて、キリスト教の神の名のもとに理不尽に奪われた命や、廃絶された各地の土着文化が多くあることは事実かもしれません。

    でも一方で、特に政府当局による福祉政策などが不十分な非キリスト教国で、キリスト教団体が独自に作った施設がその役割を果たしていたというような例もありますし、世界中でさまざまな社会的問題に対して信仰的立場から献身的に活動していらっしゃる方々も存在します。

    またイラク等への派兵が行われる一方で、同じキリスト教的思想に基づいて、国の方針に反し良心的兵役拒否者となった人たちもいます。
    (ちなみに、この記事で取り上げた本の著者の先生は、キリスト教信者が戦争に加担してはならない、過去の事例は反省すべきという立場を取っておられます。)

    また私自身は現在、特定の宗教を熱心に信仰するというような生活はしていませんが(まあ四季折々の一般的な行事に周囲に合わせて参加する程度の日々)、なんらかの信仰を持つことで、ようやく自分を保てる人がいるのを、否定もできません。

    私事になりますが、わりと早死にだった私の実母が、余命宣告を受けたあと、病室内で一心に聖書を読む姿を見ている経験があるため(自力で読めないほど弱ってからは、私も含めた家族が頼まれて朗読していました)、キリスト教徒は地球上からいなくなれ、とはちょっと言いがたい気持ちです。

    まあ正直、私もアメリカでキリスト教右派が、進化論を学校で教えることに反対していて……みたいな話を聞くと、思わず「ばっっかじゃねーーーの!?」とか言っちゃうんですけど(言葉が汚くてすみません)。

    結局のところ、キリスト教に限らず、宗教そのものに問題があるというより、所属する人間のうちの権力を握るものたちによる「運営」が問題なんじゃないかなあ、と今のところは思っています。

    神の名のもとに結局のところ独善に走っていたり、とにかく極端で排他的な過激派だったり。そこに巻き込まれる、あまり掘り下げたことを考えようとしない一般人がいたり。

    実際、門外漢が新約聖書の文言のみを純粋に見ていくと、どちらかというと非暴力主義的な要素も強い思想なのではないかと感じるので、これで人為的に命が奪われることが正当化されたりするというのは、本当に分からない。謎ですね。

    なんか、とりとめのないお返事ですみません。
    • ならの
    • 2010/01/23 1:25 PM
    高校時代の世界史の授業中に教師が
    「日本にもこうして宣教師が入ってきたのに、結果として日本人のキリスト教徒数はとても少なく、世界的に珍しい事例だ。何故日本にはキリスト教が広まらなかったのか、不思議なものだ。」
    と言っていて、なんでかなーと思っていました。
    (わたしの世界史の知識は高校の授業でやったことがほとんどなので、ちょっと足りない部分があると思います。)

    そのときわたしが考えたのは、
    「日本人はそれ以前にも古来からの神道と中国伝来の仏教を共存させ、生活の中で使い分けるようになっていたし、キリスト教も仏教みたいに混ぜて使うようになったから、南米みたいに純粋なキリスト教徒は増えなかったのではないか。」
    というものでした。
    でも、確かに武士階級に先に入っていることから、庶民的な日々の暮らしにおける祈りという形で定着せず、知識階級のたしなみとか、儀式のときに真似するとか(結婚式)、そういう風になったのかもしれませんね。

    こちらを読んで、この本にとても興味を持ちました。いずれ図書館で借りてみたいと思います。
    • Felice
    • 2010/01/24 10:02 AM
    私は、これまで周囲にクリスチャンがちらほらいたので、全体としてのパーセンテージってあんまり考えたことなかったのですが、本書で「人口の1%未満」という具体的な数字を見て、改めてやっぱり少ないんだなあ、と再認識しました。

    Feliceさんがおっしゃるように、日本だといろいろ共存できちゃうからっていうのも、あるような気がしますねー。

    そういう共存に寛容な宗教がじわじわと生活に浸透していく一方、キリスト教みたいな唯一神を定める考え方だと既存の神様たちとバッティングして苦戦しがちだったり。

    件の本は、感想文でも書いたように今後キリスト教を広めていきたい立場の人が、同じクリスチャンに向かって語っている本なので、そこを念頭に置いて自分でバランス取りながら読まないと違和感が強いかもしれませんが、装丁とタイトルの堅苦しさのわりには、さらっと気軽に読めるんじゃないかと思います。

    別々のところで発表した文章や講演記録を1冊にまとめたものなので重複する内容が多かったのも、ちょっとマイナス点だったんですが、これはまあ仕方ないですね(笑)。
    • ならの
    • 2010/01/24 7:11 PM
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