虫のいい日々

あぶはち取らずと言われても、極楽とんぼで過ごしたい。
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2018年2月に読んだものメモ
今月はオリンピックがあったのでけっこうテレビ観戦に時間を取られていました。まあ、ほぼフィギュアスケートのみなんですけど。そういえばこのわたくしがスポーツ観戦をするなど、数年前には考えられないことでした。世の中、なにが起こるか分からん。


  • 竹宮惠子『少年の名はジルベール』(小学館,2016年2月)
     去年の暮れに『風と木の詩』を読んだ際、よくもまあこんなとんがった作品が1970年代に発表できていたものだなあと思ってて、そうしたら竹宮先生がご自分の若い頃のことを書いた本が出ていると知ったので手に取ってみました。
     少年向け漫画で許されることが少女向けでは許されなかったというような黎明期に、竹宮先生をはじめとする大御所のひとたちが新しい表現を求めて戦ってくださったからこそ、いまの豊かな女性向け漫画の文化があるのだな、みたいなことを考えました。あと、いわゆる「24年組」の話でよくお名前が出てくる増山法恵さんのことをよく存じ上げずにいたので(ボーイソプラノのCDのライナーノーツによく文章を寄せてらした人、みたいな認識だった)、そんなにも竹宮先生に対して強烈な影響力を持ったかただったのか、とか。
     その一方で、この本では非常に率直に、竹宮先生が萩尾望都先生というタイプの違う才能のかたまりに出会って、さらには一時期同居までして、埋められない溝を感じさまざまに葛藤し苦しんでいたことが吐露されており、これ萩尾先生サイドから見るとどうなんだろうと思ったりもしました。萩尾先生は萩尾先生で、過去に読んだエッセイ集などを思い返すと、ご両親が漫画家という職業を理解してくれないことなど、同じ時期に人間的な苦悩があったはずなんだけど、とにかく竹宮先生視点で見た当時の萩尾先生の人物像が、なんだかものすごく浮世離れしていて。


  • 新保信長『字が汚い!』(文藝春秋,2017年4月)
     自分が書く文字に自信が持てない著者が、同じく字が汚い人や、逆に達筆の人、書道家やペン字教室の先生などに取材しつつ自分でもトレーニングをしてみたりして、手書き文字についての考察を深めていく。いわゆる完成された美文字とは違うけど味のあるいい感じの字、なんてのもたしかにあるなあ。私も決して自慢できるような文字は書けていないので、いろいろ身につまされながら読んだ。しかし草書でなく楷書が世の中の主流になった時点で、美文字というのは必然的に「丁寧に書いたもの」とイコールで、読み手に対してあなたのためにこれだけの時間をかけましたという表明になる……というのは、思いも寄らぬ視点であった。まあ私も、お手紙を書く際には意識してこれまでより丁寧に書いてみようという気になりました。あと、筆跡診断の先生が、文字だけを判断材料に書いた人の性格などを当てていくくだり、すごく面白かった。私も診断してみてほしい(笑)。右下がりの文字を書く人は「わりと斜に構えた批評家タイプ」とか説明されていて、えええ……ってなりました(私の字、微妙に右下がり気味なので)。

  • 『中国が愛を知ったころ 張愛玲短編選』(訳:濱田麻矢/岩波書店,2017年10月)
     1920年に上海で生まれ1995年に米国で亡くなった中華圏の有名作家の短編3つ。最初に入っている1943年の「沈香屑 第一炉香(原題《第一爐香》1943年)」はデビュー作。退廃的な生活を送る裕福な伯母の屋敷に引き取られた少女の視点での、きらびやかな世界の微細な描写の鮮やかさに溜息がもれ、報われない愛情や当時の女性としての人生における閉塞感の生々しさが胸を打つ。
     あとの2編「中国が愛を知ったころ(《五四遺事 羅文濤三美團圓》1957年)」「同級生(《同學少年都不賤》2004年〔1973〜78年頃に執筆〕)」は、巻末の訳者あとがきを読めば著者本人の人生が大きく反映されているのだろうと分かるけど、筆致がとても客観的だったり分析的だったり。
     張愛玲という作家は、名前はちょくちょく目に入っていても、いままでどういう人だったのか知らなかったので、あとがきで具体的な経歴を読んで、ご本人も激動の時代にあってこんなにも強い意思を持って人生を切り開こうとした人だったのかと驚嘆。


  • 妹尾ゆふ子『翼の帰る処 番外編 ―君に捧ぐ、花の冠―』(幻冬舎,2018年1月)
     一貫してヤエト視点で進んでいた本編と違って、すべてほかのキャラ視点の作品集。最初の短い3作は、以前ウェブでも読んでいたもの。第二皇子と伝達官のやりとりを描いた「剣の誓い」が公開当時からとても好きでした。
     表題作、本編ではさほどクローズアップされていなかったタナーギンが抱える秘密を中心に展開する、まさかのせつないお話。ヤエトのログアウト中も現世は現世で、複雑な事情と心情の絡まりあいやぶつかりあいがあり、それが本筋にきちんと噛みあって収まっているのが、物語の悲哀や皮肉とは別のところで気持ちいい。
     あと、こんな凝った口絵(電子書籍では再現無理な仕掛けあり)初めて見ました。巻末の登場人物紹介もボリュームがあってキャラ愛にあふれていて。しかしこれで本当の本当に最後だからこその大盤振る舞いなのかしら、と思うと読み終えてしまってちょっと寂しい感じも。


  • 植本一子『降伏の記録』(河出書房新社,2017年10月)
     日々のことを淡々と赤裸々に綴った3冊目。前作で病気が発覚したご夫君「石田さん」(ミュージシャンのECDさん)はさらにじわじわと弱っていき、それを見ている著者もどんどん精神を削られていきながらも、仕事やお子さんや周囲の人たちとの交流で浮上し、また沈み、こじれているお母さんとの関係にも苦しみつづけ……といった毎日が、やはり暴力的なほど率直に、しかし切実さの伝わる鋭利な美しい文章で綴られている。ご夫婦ともに、凡人には計り知れない感性と倫理で生きていてそこに傷つく人もいるだろうけど、もうそこは仕方ないんじゃないかな、だって、同じとこにどうしようもなく惹きつけられる人もきっと多い。読む前から、石田さんが先月お亡くなりになったことを知ってしまっているので、本書で告白されているすれ違いについて植本さんは折り合いをつけることができたんだろうか、あるいはこの件について最終的に石田さんと通じ合えたと思える時間はあっただろうか……とか、ついつい考えてしまうけど、そんなこと読者が詮索する権利はないんだ。ただ、もしも、もしも植本さんが書きたくなったら書いてくださればいいし出たらたぶん読みます、とは思う。

  • 田辺青蛙『人魚の石』(徳間書店,2017年11月)
     アメリカ旅行記とか、円城塔さんとご夫婦で共著の読書エッセイとかは楽しく読んでいたのに、そういえば本業の小説作品を拝読したことなかった! と思って。
     田舎の山寺の住職だった祖父のあとを継ぐと決めて子供時代の一時期を過ごした古いお寺にやってきた主人公が、得体の知れぬ生き物と遭遇してからの日々を描いた連作短編集。どこか気が抜けるようなかわいらしさもある言動をする人魚「うお太郎」のキャラクターや、最初のほうのお話のそれなりにほのぼのとした読後感に、「あれ? ホラー作家さんじゃなかったっけ?」と少々意外に感じつつ読み進めると、だんだんじわじわと主人公視点での認識が塗り替えられる部分があって、ふと足元が不安になるようなぞわっとする空気も。主人公だけが見出すことができるさまざまな「石」の存在が奇妙で面白い。
Posted at 18:48 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
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