コリン・ジョイス『「アメリカ社会」入門 英国人ニューヨークに住む』

『「ニッポン社会」入門』の続編? 在日歴15年の著者が、今度はアメリカ、しかもニューヨークに移住。やはり本書も、対象読者は日本人のようです。イギリス人によるアメリカでの「異文化」体験を説明するのに、ちょくちょく日本のことが引き合いに出されてるという、なかなか得がたい本。

日本では、「英語圏」とか「英米」みたいな表現をして、イギリスとアメリカをまとめてしまいがちだけど、イギリス人の目から見ると、こんなに違います! という主張が、前作と同じく、「いかにもイギリスらしい(と、部外者がイメージするような)」ちょっとヒネリの入ったユーモアを交えて綴られています。この筆致ひとつとっても、アメリカ人ならもっとあっけらかんと自信たっぷりに押し付けがましく「がはははは!」って笑わせようとするような書き方するんじゃないかなーと思ってしまったり。これも偏見かもしれないんだけど。

ただまあ、これは前作『「ニッポン社会」入門』についても同じなんだけど、なんだかんだ言っても著者はイギリス人としての立ち位置を崩さないと同時に、ちゃんと移住先である日本やアメリカのことも好きで、さまざまな感覚の違いを柔軟に受け止めて自分のなかで消化しているんだよね。2作とも、著者の適応力の高さがうかがえる、対象への暖かい気持ちが感じられるエッセイでした。

ぼくは日本で暮らす前、イギリスとはまるっきりちがう国を想像していた。しかし、長く住むうちに、最初はとまどった習慣も、しだいによく理解できるようになり、結局、人間のすることはどこでもたいして変わらないという考えに行き着いたのである。
 アメリカの場合、話は逆だ。ぼくは、アメリカ人はだいたいイギリス人と似ているだろう、ちょっと変わったところもあるらしいが、それは織り込み済みだと考えて、アメリカにやって来たのだが、完全に間違っていた。

たしかに、著者がアメリカで違和感を覚えたものに関する記述を日本人の私が読んでて、その違和感のほうに「その気持ち、分かるなー」って思ってしまうところが多々あるんだよな。

ただ一方で、もしも同じような感じで日本人の共感を得るコツを心得たアメリカ人によるイギリス滞在記があってイギリスへの違和感が表明されていたら、正直それはそれでけっこうアメリカ人側に肩入れしてしまいそうな気もしないでもない。そういうのも読んでみたいものなあと思いながら、本書を読んでました。

あと、個人的なことなんですが、著者がいろいろと具体的に挙げている、イギリス英語とアメリカ英語の違いのところを読んでいて、自分の英語知識のちゃらんぽらんさが怖くなってきた。基本的に、学校で習ってきたのはアメリカ英語だけど、イギリス寄りの英語を使う人と知り合ったりイギリスの作家の本を読んだりしているうちに、中途半端にボキャブラリ増やして、変な感じに混ざってきているんだよね。なるべく意識はしているつもりだけど、英語ネイティブの人からすると混ぜこぜなヘンテコ表現をしちゃってるかもしれないなあ。一度(いや一度と言わず何度でも)ちゃんと整理してみたほうがいいかもしれない。
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    コリン・ジョイス『「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート』

    英国生まれで、日本の高校英語教師→Newsweek日本版記者→Daily Telegraph東京特派員という経歴の著者が、14年間日本で暮らした感想あれこれ。

    ああ、そういうところに着眼するのかー、と虚をつかれたところがいろいろありました。日本語に関する考察にも、なるほどと思わされたくだりがたくさん。外来語の取り入れ方なんかを馬鹿にするのではなく、むしろ面白がっているのは、ちょっと意外だったけど、そう思ってしまうこっちのほうが頭カタかったんだなあ、と自分を顧みたりもしました。

     しかし、何といってもベストワンは「おニュー」だ。この言葉を初めて聞いたとき、ぼくは声を出して笑い、その日一日、この言葉について考えをめぐらせたものだ。英単語と日本語の丁寧語をかけ合わせるなんて! この言葉は初めて何かを使うときに感じる束の間の幸福感を見事にとらえているし、そこにはユーモアとアイロニーが同時に含まれている。しかも、短い英単語の前にたった一文字つけ加えるだけで、それだけのニュアンスを伝えているのだ。

    ……なんて言われると、なんだか私まで、「おニュー」って偉大な言葉だなあと思ってしまうよ。

    東京街歩きに関する記述も楽しく読みました。あと、ビールに関する記述にはすんごく同意。「ビールの質と種類を求める向きには、両国のポパイがおすすめ」というのにも同意(笑)。東京在住ならね。

    日本特派員として英米の雑誌や新聞のために日本のニュースを記事にする際の葛藤も、いままで考えたことのなかった視点で興味深かった。

    あと、読みながらずっと、なんかいままでに読んだ外国人の日本案内とは違うなって感じがしていたんですが、たぶんそれって、英語からの翻訳書でありながら、対象読者がはっきりと「日本人」だったからなんだと思う。

    日本を知らないひと向けに書かれた本なら、もっと詳しく書くよねえ、みたいなもの(海苔とご飯を食べるときまで分離してあるコンビニのおにぎり包装とか)が、共通認識されていること前提でさらっと出てきたりするのが、これまで外国人が英語で書いた本なら英語圏の人向けに決まってる、みたいな固定観念に捉われていた私には新鮮だったんでしょう。

    とにかく、たいへん面白かったです。翻訳も、著者本人をご存知のかたが手掛けているおかげもあってか、とてもすんなりと本文中に挿入されている著者の写真とイメージ重なりました。その一方で、「これ原文だと、どんな表現なんだろ?」と純粋に興味を覚えたところも多々あったので、いつか余力ができたら、英語版(これ出版社を見ると、やっぱり著者と同じイギリス人向けに出版されたわけじゃなく、私のような野次馬な日本人向けなんだろうな)にも目を通してみたいものです。
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      岸本葉子『買おうかどうか』

      お買いものエッセイ。4個472円の吸盤フックから8万4千円の敷物や10万円弱のパソコンに至るまで、岸本さんがそれを買おうと思い立ったいきさつ、実際に購入するにあたってのあれこれ、その後の感想と自己評価などを、律儀に報告。

      どんなものでも、お金出して何かを買うときには、意識しないほどの一瞬だったり延々と長時間だったりの差はあっても、なんらかの葛藤はあるものでしょう。本書では、そこのところを微に入り細にわたり率直に綴ってあります。

      そもそも最初のお買い上げ品「アロマオイル」を買うに至った経緯が……正直すぎる(笑)。

      この人の文章を読むといつも思うのですが、岸本さんって本当に「真面目」なんですよね。で、きっと頭いいし生活に対する意識も高いんだろうけど、どっか不器用で、しかもそこを素直におもてに出しちゃうので、一見して隙がないようでも煙たがられない(そして頭がいいので、たぶんそれが自分の「強み」なんだということも理解してる)タイプ、なんじゃないかなあ。

      この本で扱われているものの多くは、「私だったら買わないかな」という感じのものだったりするんだけど、買うかどうかをうんうん悩んでいる内面吐露には、なんだかものすごく共感した。そんでもって、そこまで悩みに悩んで買って、なおかつ使い始めてみるとハズレだったりすることもあるのがね、もうね、ほんとにね。でもあるよねえ、そういうこと。

      いつも吟味を重ねているつもりなのに、本当の意味でのお買いもの上手には、なかなかなれないなあ……という私のような人が読むと、「ああ、私だけじゃなかったんだ」と、ちょっぴり安堵できます(いや、そこで安堵せずに、お買いものマスター目指してさらなる精進に励むべきなのかもしれないけど)。
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        ハーバート・クロスニー『ユダの福音書を追え』

        日経ナショナル ジオグラフィック社/日経BP出版センター
        (2006-04-29)

        1970年代にエジプトで地元の農民によって発見されたパピルスの古文書。それはグノーシス派の思想に基づいて執筆され、おそらくは紀元300年代にギリシア語からコプト語に翻訳された『ユダの福音書』の写本だった――

        『ユダの福音書』とは、イエスを裏切った弟子としてキリスト教文化圏ではずっと忌み嫌われてきたイスカリオテのユダ視点による福音書。そのなかでは、十字架での磔刑はイエスを人間の肉体から解放するためにあらかじめ予定されていたこと、ユダは愛弟子としてイエスの指示に従い、憎まれること覚悟で師を処刑者たちに引き渡した……という主張がなされているらしい。

        現在「正典」とされている福音書が、すでに制定されて不動のものとなってしまっているので、その後にこういうものが見つかって真偽を問われたとしたって、正統派のキリスト教思想そのものには影響がないのでしょうけれど、それまでほかでの言及があっても実物が見つかっていなかったものなので、文書そのものの史料的価値は計り知れないものがあるんだろうというのは、素人にも理解できます。

        本書ではしかし、『ユダの福音書』自体の内容にはあまり深く入り込むことはせず、メインとなっているのは、これらのパピルスが発見されてから、無事しかるべき機関の保護下に置かれて研究が進められるようになるまでの、30年ほどにもわたる紆余曲折です。

        価値が高いものだけに莫大な金額が動く、そしてだからこそ、かえって売却交渉が進まず宙に浮いてしまったりする。ときには、専門知識のない人間の管理下でどんどん劣化が進んでしまう。難しいものですね。

        とにかく、研究対象としての価値とは別の論理で、利害が焦点となり狐と狸の化かし合いみたいなことが、延々おこなわれてきたんである、というお話でした。古美術業界って、なんか怖っ(笑)。

        実際に解読が進められる過程での気の遠くなるような作業の説明を読んでいると、劣化がここまで進む前に保護できていればよかったのにと、とても残念な気持ちになりましたが、その一方で、そこまで劣化が進んだものでも現代の技術を駆使すればここまで復元できるのか! というわくわく感もあったり。

        現在、この文書はスイスの財団が所有しており、ナショナルジオグラフィック協会が公開を請け負っているようです。すでに原典の日本語訳(『原典 ユダの福音書』)やDVD付きのビジュアルブック(『ユダの福音書 DVDブック ビジュアル保存版』)が出版されているほか、ナショナルジオグラフィックのウェブサイトにも特設ページができています。
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          青木るえか『猫の品格』

          新刊情報を見たときには「え、文春新書で青木るえか?」と、一瞬戸惑いました。そしてタイトルを見て、うわー、なんだこれ、と。いや、青木るえかの猫語りなら、まとめて読んでみたい気はあるけど、「〜の品格」ってどうよ。これ「エア新書」じゃないんだよね?

          で、実物を見たら。おおっ、普通に文春新書だー。地味な表紙の文春新書だー。でも帯の惹句が「品格ブームに弱々しく異議を唱える」だー。うん、まあ青木るえかが真面目に品格ブームに迎合した本を出すとは思ってなかったさ。でもタイトルが目を引くという意味では、あざとく便乗してる?

          内容は、もう本当に青木るえか節の猫エッセイです。年老いて病院通いが必須となったヨボヨボの猫さんたちとの生活にまつわる情けなさ、惨めさ、ずぶずぶと引き返せなくなる感じがミもフタもない表現で延々と綴られます。でも実際、そうだよね、生き物を最後まで飼うって、そういう面もあるんだよね。そういう覚悟がいるんだよね。

          これまでに出会った獣医さん評や、小説や映画に登場する猫に関する章は、もうびしばしと根拠なく決めつけまくりなんだけど、変な説得力あり。ていうか、目をぐるぐるさせながら読んでるうちに押し切られている。偏見丸出しの決めつけ文体は苦手なんだけど、なぜかこの人のは許せてしまうのは、やはり対象への愛?(ご本人は自分のことを「愛猫家」じゃなく「猫飼い家」と称しているけれど。)ただやっぱり、どこもかしこも極私的なエッセイに過ぎず、本来は新書で出すような本じゃありません。

          なのに結局、最後まで読むとこれはこれで、新書であることに意義がある、とも思えてきてしまうんだよなあ。既存の「品格」本と類似の新書フォーマットで出ることによって初めて完成する大掛かりなネタ、という捉え方もできるので。

           せいぜい、品格のことなど忘れて生きる、というのが品格向上にいちばんきくのではないだろうか。


          いやほんと、そうかもしんないと思うよ。しみじみ。
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            有川浩『植物図鑑』

            角川書店(角川グループパブリッシング)
            (2009-07-01)

            初・有川浩。じつは「図書館戦争」シリーズが全巻、自宅にあるんですけど未読(汗)。

            ご飯を作る余裕もない、うるおいに欠けた生活を送る一人暮らし女子のところに、ある日いきなり、なかなか見た目も好みな家事万能の男子が降ってきて世話を焼いてくれる。しかも女子側が意思表示をしないあいだはもどかしいほどに人畜無害な紳士のくせに、好意を表明したらちゃんと思いを返してくれる。って、どこまで都合がいいんだーっ!(笑)

            でも実際、このお話のヒロインと同年代(20代半ば)の女性が妄想上のシチュエーションとして思い描く典型的パターンのひとつなのかもしんないなあ、と感じました。ほら、『のだめカンタービレ』の千秋先輩が、女性を対象とした漫画のヒーロー人気投票で必ず上位に食い込むのだって、85%くらいは「家事能力」が決め手になっているんじゃないか(あと、相手の女の子に同等の家事スキルを要求しないところも、かな)と思うんだ!

            もともとは、携帯小説サイトに連載されていたものだそうで、この途中での切なさ成分も含めての願望充足に直結したような展開は、それもあるのかな。お仕事帰りのOLさんが、電車の中で気軽に読めそう。でもいままで携帯小説って、とにかく改行が多くて文章短くて情景描写とかあんまりなくて……みたいな思い込みがあったので、こういうしっかり文字とうんちくの詰まった携帯小説もあるんだなあ、と少し偏見が修正されました。

            さて、ヒロインが拾った男子は、たいへん植物に詳しく、山菜や野草の料理が得意です。そして、それまでは家と会社を往復するだけだったヒロインをいざなって、休日には四季折々の植物採集へと連れ出してくれるのです。

            登場する植物が、表紙の裏にすべて写真で紹介されているのがよかった。存在すら知らなかったもの、目にしたことはあるけど名前などは知らなかったものもあれこれあって、楽しめたし勉強になりました。採集した植物のお料理レシピが巻末に載っているのもお得感。たぶん作らないけど……(笑)。ノビルとかすごく美味しそうに描写されてるんですが、もし生えてるところを知ってても掘りに行く根性がありません。近場でクレソンが自生してる場所を教えてもらったこともあるけど、いまだに採りにいったことがありません(本作中でもそういう話が出てたけど、あの辺は排水がなー)。

            で、読んでるあいだ、じつはヒロインと一緒にわくわくするよりも、記憶が逆流してきてやたらノスタルジックな感情にとらわれておりました。

            母方の田舎に行ったとき祖母が揚げてくれたツクシの天ぷら。いまはもう道路開発でなくなってしまった生家の庭の隅で顔を出していたフキノトウ。学校帰りに道端でヨモギを摘んでちぎったところから香りを吸い込んでは母お手製のヨモギ餅に思いをはせて「ああ、おいしそう」と思っていたこと。

            アメリカに住んでいたとき、近所のサイクリングロードの両脇にびっしりとワラビが生えているのを見つけて母と一緒に取りに行って通りすがりのアメリカ人に不思議がられたこと。

            カナダでマツタケ狩りをした際、現地の山中でお世話になった日系人のかたに「スカンポ」という名で教わった植物の30年近く経ったいまも忘れがたい美味しさ。この「スカンポ」が、あまりにも本書に登場する「イタドリ」の描写に合致するので調べてみたら、まさしくスカンポとイタドリが同じものであったと知ることができたのは収穫でした。

            こういう子供時代が記憶にあるっていうのは、けっこう幸せなことなのかもしれない。でも、男の子的には、本書のヒロインのように、何もかもが初めての経験で「うわあ、うわあ」って目を輝かせて感心してくれるほうが嬉しいかもしれない(笑)。

            ていうか正直、自分がこのヒロインと同年代で独身で一人暮らしをしていた時代のことを思い返して、「この女の子が毎日仕事をしつつ、休日にはこんなにも相手の趣味に同調して一緒にのめり込めたのって、もともと時間と精神的エネルギーを大量に消費するような自分自身の趣味がなかったからだよなあ、やはり独自発達したオタク属性は恋愛には不利なのか」なんてことも思ってしまって、一瞬、遠い目に(こらこら)。

            そんなこんなで、出てくる食材はアク抜き必須、作られる料理の数々も渋いけど、素直でアクのない登場人物たちによるとっても甘くさわやかな恋愛小説でした。
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              中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言』

              タイトルがすべて、という気もしないではありません。キャッチーだよね。

              ウェブ上でニュースサイトの編集者をやってきた著者の経験に基づき、現状ネットがどのように利用されているのか、注目を集めるコンテンツとはどのようなものか、といったことを、運営者側からの目で分析。

              さまざまなネット上でのトラブル実例が挙げられているところでは、私自身もリアルタイムで話題になってるのを目にした記憶がよみがえったり、知らなかった事件でも「いかにもありそうだ」と納得してしまったりして、なんだかんだ言っても、私も「ネット住人」のうちのひとりではあるんだよなと、改めて確認することになりました。

              著者の言うネットの「気持ち悪さ」っていうのは、たしかにそのとおりなんだけど、著者のようなお仕事をしていなければ、スルーすることもできちゃうんですよね。その辺、とにかく「大変そうだなあ」と思います。

              結局、いくらツールが新しくなったって、使っている側が同じ人間である以上、ユーザーが増えていけば従来の「大衆的」で「通俗的」なものがマジョリティになってしまうんだという、大筋ではまあ言ってみれば当たり前のお話。

              当たり前ではあるんだけど、ネットでプロモーションをやろうとする企業のエラい人たちにはそれが分からんのですよ、という。その辺の食い違いには、かなりもどかしい思いをなさっているのでしょう。

              読んでる私は、著者のような「仕掛ける側」の視点を持つ必要がない、まさしく本書で言うところの「バカ」で「暇人」なので、こうやってブログなど書いていてもそれで何かを成し遂げようとか人生を変えようとか、そういうことも考えたことがなく(とはいえ、結果的にネットを通じて、できれば一生でもつきあっていきたいような人たちに出会えたことはたしか)、本書のサブタイトルの「敗北宣言」というフレーズを見て初めて、ああそうか、ネットに勝負かけてたひともいるんだなあ、と極めてヒトゴト的に受け止めてしまったのですが。

              うん、バカと暇人は、バカと暇人なりに、便利にネットを使ったり使わなかったりするといいと思うよ。たぶん、著者が言いたいのも、そういうことなんでは。あんまり「新しいメディア」として期待をかけても、所詮使っているのはオフラインに実体を置いて生息する人間だし、という。
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                米澤穂信『追想五断章』

                家庭の事情で大学をやめて、伯父が経営する古書店を手伝っている芳光は、ある女性の亡父が書いた短編小説が掲載されている同人誌を扱ったのがきっかけで、残る4編の探索を個人的に引き受けます。それらはすべて、結末の解釈が読者に委ねられている「リドルストーリー」形式のものでした――というところから始まるお話。

                社会背景として不況への言及があるので、わりと近い時代の話なのかと思いきや、しばらく読んでいくとこれが「バブル崩壊」直後の不況であることが分かります。ということは、ここに出てくる若者たちは、じつは私と近い世代なんだな。

                こういう時代設定にしたのは、芳光が調査をおこなうにあたり、インターネットや携帯電話が普及していると別の展開になってしまうからかな……と思っていましたが、読み進むうちに、散逸したリドルストーリーが書かれた時代背景の設定のほうが先にありきなのかな、とも思いました。まあ卵が先か鶏が先か、みたいなものかもしれませんけれど。

                探索しているうちに浮かび上がってくる過去の事件と、見つかった5つの短編およびその解釈から推定されるその事件の真相が判明しても、読後の後味は「すっきり」とはほど遠く、むしろ知ってしまったことによりこの依頼者はこれから一生これを背負うんだな、という重い気持ちで本を閉じることになります。また、「事件」に関しては第三者である芳光自身が背負う事情も、この物語の中ではまだ具体的な解決には向かっていません。

                この5つの「作中作」を含む長編作品そのものが、登場人物たちの抱える閉塞感に回答を与えず、これからを想像させるに留まっているという点では、ある意味リドルストーリー的なものかもしれません。この入れ子構造(※)の単純な面白さと、描かれている漠然とした閉塞感への感情移入のしやすさで、なんだか読者としての自分の身の置きどころに迷う感じになるのだけど、結局は「そこがいい」から読んじゃうんだろうなあ。

                ※これを書いてから、ほかの人とtwitterでこの作品についてやりとりしていて気がついたので追記しますが、この話って、バブル崩壊直後に20歳そこそこの主人公が、1970年前後の事件を調べるわけですよね。で、それって本書が刊行された2009年時点で主人公と同年代の読者が物語内の時代(17年前)を想像しながら読むと、距離感的にはほぼ同じになる。そういう意味でも「入れ子構造」なんだ。
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                  長野まゆみ『お菓子手帖』

                  読んでるあいだも読了後も、なんの疑いもなく「回想録」あるいは「自伝的エッセイ」だと思っていたので、この感想文を書くためにAmazonの該当ページで内容紹介を見て「自伝小説」となっているのを知り、たいへん驚きました。小説とエッセイの境目が最近よく分かりません。

                  とにかく、「お菓子」にまつわる記憶を中心に、長野さんが生まれた1959年から作家デビューが決まった1988年までを、1年ずつ取り上げて書き連ねた本です。冒頭にお祖父さまの代からのご家族のこと、最後に宮澤賢治の作品に登場するお菓子についての章が入っています。

                  なんとなく、これまでに読んだ長野さんの作品の感じから、こういうのを書く人はご自分についての現実に即した具体的なことはあまり公にしないのではないかというイメージを抱いていたので、このような詳細な自伝が出たのが、ちょっと意外でした。私の勝手な思い込みなんですけど。

                  それにしても、長野さんが綴る、お菓子のある昭和の風景。私自身の記憶にもあるお菓子だってたくさん登場するのに、やはりどこか、私が知っているものよりもソフトフォーカスがかかりつつもキラキラしているような気がします。こういう記憶が、作品にも間接的に投影されているんだろうなあ。

                  デビュー作となる『少年アリス』の初稿を書きあげたとき、応募先を河出書房新社にしたのは、お祖父さまが河出の前身にあたる成美堂書店に勤めていらっしゃったからだとか、新卒のときの就職先が現在はもうなくなってしまった吉祥寺のあのデパートだったとか、銀座のあのデパートが開店したときのスタッフだったとか、「へえ〜」って感じでした。長野さんのあの作風だからこそ、そういう現実と地続きの内容がさらっと書かれているのをことさらに新鮮に感じてしまうのだと思う。

                  ところで、20年後の2008年になって改めて出た『改造版 少年アリス』、ストーリーは同じなのだろうからとパスしていたけど、本書の記述によるとけっこう大胆に改稿しているみたいだったので、ちょっと読んでみたくなってきたな。
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                    伊藤まさこ『あの人の食器棚』

                    初出『芸術新潮』2007年5月号〜2008年12月号。料理・雑貨スタイリストの伊藤まさこさんが、いろんなお宅の台所を取材して、ついでにその台所で実際になにかお料理も作ってしまうというもの。

                    陶芸家や木工家、ガラス工芸家など、「器」を作るかたが何人か登場するのですが、そういう人たちのなかにも、ご自分が作った器を積極的に自分の食卓に出している人と、「自分の器を使うなんて恥ずかしくって」という人と、2つのタイプがあるんだなというのが、印象に残りました。

                    とにかく、ひとさまのところの台所を見るのは楽しいなあ。しかしもう若い頃のように、ステキなキッチン写真を見て自分のキッチンの参考に……みたいなことは、思わない。台所なんて、結局はそこの住人の構成や状況や食の好みによって都合のいいように流動的に落ち着くところに落ち着いていくしかないわけで。そしてだからこそ、さまざまな生活をしている人たちのさまざまな台所は、みんなそれぞれぜんぜん違っていて、こういう本が成立するわけで。

                    うちもうちなりに、ひとさまにお見せできるような素敵な台所では決してありませんが、なんか「なし崩し的」に方向性が定まってしまっており、ちょっとよそのおうちのオシャレなキッチン写真を見たくらいでは、いまさらどうこうなりそうもありません(笑)。

                    【取材されている人たち(敬称略)】
                    宮脇彩(エッセイスト)、内田春菊(漫画家)、大井幸衣(「n100」デザイナー)、川内倫子(写真家)、井藤昌志(木工家)、長嶺輝明(写真家)、井山三希子(陶芸家)、野田善子(「野田琺瑯」勤務)、飛田和緒(料理家)、島るり子(陶芸家)、よなはらみよ(ガラス工芸家)、鈴木潤(「メリーゴーランド」京都店店長)、石村由起子(奈良「くるみの木」店主)、伊藤環(陶芸家)、米田倫子(二子玉川「リネンバード」店主)、岡戸絹枝(「クウネル」編集長)、矢田部英正・祥子(「武蔵野身体研究所」主宰、主婦)、長野真智子(絵画教室主宰)、大橋歩(イラストレーター)
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