酒井順子『儒教と負け犬』

数年前のベストセラー『負け犬の遠吠え』によって、30歳以上の未婚女性を意味する「負け犬」という表現をすっかり日本に定着させてしまった著者が、日本と同じく儒教文化圏である韓国と中国の女性たちを取材し、考察を繰り広げています。

ああそうかー、これって儒教かー。いまどき、四書五経を真面目にひもとく人なんてほとんど皆無だというのに、知らないうちにじわじわと無意識化に刷り込まれて生活の一部になってしまってる、アジア独特の価値観。

世界の趨勢としてメリットについてもデメリットについても男女平等推進が正しいはずと思う理性と、理性なんかでは払拭しきれない「女性は一歩引くべき」的な感覚や美意識のあいだで、引き裂かれているがゆえの晩婚化。シングル生活を続けている人のみならず、既婚女性にとっても、この二律背反は夫婦間でのバランスの取り方などの面から考えれば、ヒトゴトじゃありません。

それはそれとして、韓国(ソウル)と中国(上海)でのインタビューや座談会は、各国の共通点とお国柄が分かりやすく提示されていて、興味深く読みました。

ところで、すんごい余談なんですが、この座談会、出席者はみんな、女優さんの名前を使って仮名で登場するんですよ。韓国の女性だと、「イ・ヨンエさん三十四歳」とか。で、私は韓国の芸能人には詳しくないので、そっちはさらさらと読めたんですが。

上海での座談会で参加者の仮名ネタとして使われてるなかに、台湾や香港の女優さんが混じってるのが、気付いてしまうとなんとも居心地悪い……(笑)。いや、台湾はまだいいよ、基本、台湾の國語は普通話(標準中国語)読みと一緒だから(だよね?)。しかし「上海在住の勝ち犬カレン・モクさん」が出てきたとたん、

「『莫』姓を『モク』とわざわざ広東語読み……なにかどうしても自分のルーツにこだわってしまう深いわけが! そしてたとえば、若い頃から玉の輿の野心を抱き、南のほうから単身で親元を離れて上海という都会へやってきてその女優的美貌で見事目的を達したドラマティック人生だったりとか!」

などなどと、本筋を離れて一瞬で妄想の翼が羽ばたいてしまう私の脳みそを誰かなんとかしてください。

おそらく仮名の選出には他意はなく、単にそれぞれの文化圏で日本人にも名の知られている女優さんたちを持ってきたにすぎないんだろうと、理性では分かっているのですが。
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    千野帽子『文學少女の友』

    このかたの本を読んだのは、初めてです。ずーっと女の人だと思ってました、すみません。そしてこの本も、もっとレトロな乙女チック精神全開のあっけらかんとキラキラした本だと思ってました。すみません。

    実際に読んでみたら、適度に棘が仕込まれた刺激的な評論集でありました。あと、守備範囲がとても広いのが、なんというかとても「ネット時代的」、「現代的」な雰囲気でした。もっとこう、由緒正しいお文学〜な作品しか視界に入ってないのかと思ったら、参考として引き合いに出される作品のなかには西村京太郎があったり、果ては「2ちゃんねる」の書き込みまでもが言及の対象だったり。

    まあ、読む前からあんまり先入観を持たないほうがいいよって話ではあるんですが、反面、裏切られる快感っていうのもありますのでな。

    とりわけぐっさりと刺さったのは、ミステリを筆頭とする「ジャンル小説」を手厳しく取り上げた、《木曜日 「心は少女」の罠》の章。ジャンル読みをしないひとの目には、こう見えているのか……と。

    いまでこそ、量的にも濃度的にも対外的には決して「本好き」とは言えない、ゆるい読書生活を送っている私ですが、私のサイトを昔からご存知のかた(って、すごく少ないだろうけど)はお分かりのように、以前はわりと「ジャンル者」でした。そしてまさしく、本書で言われているように、観念としての「読書共同体」、「ボクら」的な意識を持っていたと思います。

    で。じつは私は、自分がもうすでに「ボクら」から遠いところに来てしまっていることが、いま、とても寂しい。ランダムに気の向くままにあれこれ脈絡なく読むようになってしまった現在、たとえ1ヶ月のあいだに読み終えた本の冊数があの頃と変わらなくても、たとえ手に取った本がずっしりと読み応えのあるものでも、「ジャンル者」として、特定範囲内の本をリストアップし1冊1冊チェックしていっていたあの頃と比べれば、「本読んでる!」という充足感や幸福感はぐっと減ってしまったような気がするというのが本音。

    だけどその一方で、ここで書かれているようなことにも共感してしまう私は、もう二度と本当にはあの場所に戻れないんだろうな。私もまた、ミステリを捨てたのではなく、ミステリに捨てられたのか?

    って、本筋とぜんぜん違う自分語りをしてしまいましたが。
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      Cassandra Clare "City of Glass (The Mortal Instruments: Book Three)"

      City of Glass (Mortal Instruments Trilogy)
      (Walker Books,ペーパーバック2009年7月/
      ハードカバー2009年3月)

      【Amazon.co.jp】

      4月に読んだ "City of Ashes" の続きで、3部作の最終巻。

      ずっとニューヨークが主な舞台となっていましたが、この巻ではメインキャラがみんなシャドウハンターたちの故郷である異世界の中心都市へ移動してしまいます。周囲のさまざまな事象が、血筋的にはある意味サラブレッドだけどニューヨークで生まれ育っており、シャドウハンター(ネフィリム)基準の常識を知らないクラリー視点から描写されるので、シンクロしてわくわくと読みました(いや、ストーリー上はずっとかなり緊迫した状況なんですが)。

      前の巻からすでに小出しにされていたことだけれど、シャドウハンターと言っても決して一枚岩の「正義の味方」ではなく、メインキャラたちは本来の敵だけでなく、虚栄や傲慢さや保身に走って本質を見失っている味方の幹部層とも齟齬をきたすことになります。最終決戦までに、はたして彼らはそれまで見下してきた者たちと手を組んで一丸となることができるのか?

      そしてもちろん、1巻からずっと引っ張ってきた恋愛要素は、この巻でもじれじれと引っ張りまくりでした。常にクールな男の子だったジェイスが、じつは第1巻の最初のほうの段階からすでに情熱家だったことが判明するあたりが、あざとくギャップ萌え狙ってるよなーと思いつつ術策にはまってしまう感じ。ジェイスはもう一貫して、最後の自分の鏡像的な敵方の少年との一騎打に至るまで、とにかくすごくいいキャラだ。冷静な部分と熱い部分とナイーヴで不安定な部分の配合が。

      まあ、このシリーズに関する感想は、2巻読了時にいろいろ書いてしまって、特に付け加えることはありません。あ、最終的には、思った以上にキリスト教要素の強い話だったのは、ちょっと意外だったかな。ただ、どっちかというとガジェットとして使われているっぽい感じで、むしろ不謹慎な印象さえ受ける(笑)。

      個人的には、主役ふたりのことよりも、額に“カインのしるし”を付けられてしまったサイモンのその後が非常に気になります。物語が始まった時点では、いちばん平凡な「日常の象徴」的なポジションだったのに、いつのまにか考えようによってはいちばん、非日常な存在になってしまって。あのままもとの生活をずっと続けることは不可能だろうしなあ……。

      読んでるときに、最も胸に迫ったのは、1巻で敵に攫われて以来、ずっと意識不明状態だったクラリーのお母さんがついに復活して娘の前に現れたときのクラリーの反応。ずっと死ぬほど心配して、自分の身の危険も顧みず母を救う方法を求め続けて、だけど本人を目の前にしたら、最初に口から出てくるのは怒りの言葉だけ、という。

      Cassandra Clareの次作は、この3部作と同じ世界で時代をさかのぼってヴィクトリア王朝期のお話になるらしい。またまた3部作とか。最初の2冊を読んで気になっていた、既存作品とのダブり要素のインパクトは、この巻ではかなり薄まったので(しかし皆無ではない)、背景が大幅に変わる次のシリーズはさらに心穏やかに読めそうな気はします。

      あと、じつは読んでるあいだじゅうずっと、「この表紙イラストのキャラは誰だろう?」って悩んでいました。1巻2巻はそれぞれジェイスとクラリーだと考えて問題ないと思うんだけど、主人公に近いポジションで黒髪で皮膚にシャドウハンターのMarkが刻まれている若者キャラって、アレックスくらいしかいないし、でもアレックスが表紙に(しかも最終巻の表紙にトリとして)出張ってくるほどストーリー上で重要キャラとも思えないし(ひどい?)。

      で、途中からもしかして終盤でジェイスと対決するあの人かなあと思うようになったんだけど、この人も初登場時こそ黒髪だけど実際には変装してるだけで本来は金髪だし……うーん、ってことはアレックス? 重要なキャラはほかにもいるけど、シリーズ3作を並べたときの見た目の整合性を優先するという観点での苦渋の人選だったのかも(それか、イラストレーターさんがものすごいアレックスびいきだったとか)。いやいや、やはり「ラスボス」的な意味では、本来金髪のあの人かなあという気もしてくるし……謎です。
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        J. K. ローリング『ハリー・ポッターと謎のプリンス』上・下

        ハリー・ポッターと謎のプリンス ハリー・ポッターシリーズ第六巻 上下巻2冊セット (6)
        (訳:松岡 佑子/静山社,2006年5月/
        原書 J. K. Rowling "Harry Potter and the Half-Blood Prince" 2005)

        【Amazon.co.jp】

        7月に映画が公開されたのに合わせて、読み返してみました。日本語版で通読したのは初めてです。

        私はとにかく、このシリーズで好きなキャラを一人挙げろと言われたら迷わずドラコ・マルフォイの名前を出してしまう人なので、2005年7月に初めて読んだ際は、とにかく初めて(!)ドラコがそこそこストーリー上でも重要な役割を果たしているというのが、嬉しいと同時に、も……もしかしてこれっていわゆる「死亡フラグ」だったりしない? と、なんだか先を読むのがだんだん怖くなってきたりしてました。

        あと、プロローグがそれまでのパターンを外していきなりマグル界のイギリス首相視点だったので「おおっ!」と思った。それと、スラグホーン先生のキャラが秀逸だなあ、と。決して悪人ではないんだけど、すごく俗っぽくて「セレブ」に弱いし、自分のなかに根付いている差別意識を自覚してないので、とってもナチュラルに悪気なく無神経だったり。そういう意地悪な視点の盛り込み方が、ローリングは上手い。そしてハリーが、「いいもん」側の大人でもそういう人間的に弱い面があって当然というのを理解できるくらいに、成長している。

        しかし最終巻までの展開を知ったうえで再読すると、この第6巻でいちばん目を引くのは、スネイプ先生がらみの伏線かも。
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          雨宮処凛『ロスジェネはこう生きてきた』

          ロスジェネはこう生きてきた (平凡社新書 465)
          (平凡社新書,2009年5月)
          【Amazon.co.jp】

          これまでに読んだ雨宮さんのほかの本でも断片的に語られていた、雨宮さんご自身の生い立ちが時系列で綴られています。そこに、当時の社会情勢についての説明と分析も加えられて、その時点ではご本人も自覚していなかった相関が明確にされています。

          「自分より5年あとに生まれてきた人の目には、世界がこういうふうに映っているんだ」と、自分の記憶と引き比べながらの読書になりました。

          タイトルにある「ロスジェネ」=ロストジェネレーションは、以前のような意味ではなくて、2007年の時点で25〜35歳(1972年から1982年生まれ)だった人たちを指して使われるようになっている言葉だそうです。

          「努力すればするだけ報われる」と幼い頃から教えられて必死に「競争社会」を生き抜いたのに、バブル崩壊後の不況で梯子を外され、「普通に働く」ところを手に入れることすらその前の世代に比べて狭き門になってしまっている世代。

          雨宮さんが子供の頃から抱えてきたいろんな問題を、経験することなく社会に出るまで育つことができた同年代の人ももちろんいるわけですが、それでももやもやとした「生きづらさ」は若者たちの頭上全体を覆っていて、誰もがドロップアウトの危機にさらされている。そしてロスジェネ世代に限らず、ドロップアウトした人が這い上がるのは、とても難しい世の中になってしまってる。

          いじめ、受験戦争、何日も自宅に戻らないバンド追っかけ活動、リストカット、右傾化、北朝鮮への旅行、社会運動……雨宮さんの場合、10代の頃からすでに、よくも悪くもフットーワークが軽くて、社会の「生きづらさ」の影響によっておもてに出てくる行動が、突出しているんですよね。

          ただ、極端に走っているように見えて、じつはそういうフットワークの軽い人だからこそ、家出したまま危ない世界に取り込まれたり、リストカットをやりすぎちゃって生還できなくなったり、というところまでいかないうちにどんどん次のフェーズに進んで、ここまで泳ぎ抜けてきているのかなあとも思いました。

          あと、新右翼団体を辞めたときの経緯などを読んで思ったのだけれど、自分の問題を言語化できているためにのめり込みすぎずどっか引いて見る視点が持てているのも強みか。

          個人的には、「ロスジェネ」が「1972年から1982年生まれ」とはっきりオフィシャルに定義されていることを初めて意識して(いままで「バブル崩壊後に割を食った人の総称」みたいに漠然と捉えてた)、そうか、1970年生まれの私って、バブル世代からもロスジェネ世代からも、はじかれているんだなあ、と無意味だけど寂しさを感じました。

          しかし正直、「はしごを外された」衝撃だけで言えば、たぶん私らだってロスジェネ世代には負けませんよ。たしかに、不況が本格化したのは、ロスジェネの人たちが社会に出た頃からだとは思うんですが、4大を1992年に卒業だった人たち(主に1969年生まれ)からバブリーな就職活動エピソードをたくさん聞いていたのに、私ら1993年卒業生(特に女子)が仕事を探す番になったとたん不況が始まってて先輩方の体験談やアドバイスがまっっったく役に立たなかったという……たった1年の違いでこのコントラストの鮮やかさはなに! って頭がくらくらしたものです(笑)。
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            大野左紀子『「女」が邪魔をする』

            「女」が邪魔をする
            (光文社,2009年6月)
            【Amazon.co.jp】

            女、オンナ、女性、女子、女の子。とにかく性別欄が「男」じゃない者たちが、この世界において、(「引き出しにしまい込んで忘れて」いる場合を含めて)どうしても感じざるを得ない居心地の悪さ、みたいなのを、畳みかけるようにどんどん突き詰めて考察してくれている本。男の人には男の人の大変さがあるということは当然ですが、女の人の大変さは、そういうのとはまた種類が違うんだよね……みたいな非対称性のお話。

            ネット上(主に「はてなダイアリー」?)でかつて行われていた議論なども俎上に載せられており、一部は私も当時、ROMっていたものだったりしました。

            具体例を挙げて平易な文章で語られる分析は、すんなりと頭に入ってきて読みやすいのですが、読了してから、なんか言ってみようと思うと、どこをとっかかりにしていいのか迷う。「そうそう、たしかに!」とうなずきながら抵抗なくするする読めすぎちゃって、ぜんぜん頭に引っかかってなかったのね。

            普通に生活していて、もやもやと感じる居心地の悪さが明確に言語化されるところまでは、納得。でも、「それでは居心地悪くなくなるためにはどうすればいいのか」っていうところまでは、この本では突っ込まない。

            というか、回答なんて、ないのかも。うん、たぶん、ないな。意識の表面に浮上しないよう引き出しにしまい込むか、そこそこ自覚的に意識しながら生きていくかの違いだけ(その意識レベルは、人によってさまざまでしょうが)。

            男とか女とかじゃなく、私自身として……なんてことを思ってみても、自分の「自然発生的な」思考や言動がすでに、この社会から与えられた性別規範の影響を受けていて、そうじゃない部分を求めて「自分」をどんどん切り分けていくと、最後には「自分」そのものがなくなってしまうという罠。

            読んでてなんとなくずっと、念頭にあったのは、10代半ば(1980年代)にとても入れ込んでいた、吉野朔実の漫画作品のなかの、高校に入ったばかりの主人公の少女による下記のモノローグ。

            気にしてみると
            周りの連中は
            いつの間にか
            声をひそめて
            すっかり女の子に
            なっている
            いったいいつの間に
            花を摘んで
            きたのだろう

            あの頃、私は明確に、「いったいいつの間に」と唖然としている、花を摘みそこねた置いてけぼり組だったと思います。ただ、花を摘むことを覚えた女の子たちも、結局は一皮むけば、周囲を見回して「いったいいつの間に」とひそかに思っていたりしたのかもしれないなあ、なんてことも、いまは思う。

            一見、「女」の型に完全に違和感なく自然に嵌っているように見えるひとでも、ちょっと懐に入り込んで突いてみれば、たわいなくほころびを見せてくれたりすることがあるから。普段はただお互い、それが見えていないだけなんじゃないかと。

            そういう「ほころび」が垣間見える瞬間が、私はけっこう好きだったりして、我ながら悪趣味かなあと思うのだ。
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              竹宮ゆゆこ『とらドラ 2!』、『とらドラ 3!』

              とらドラ〈2!〉 (電撃文庫) とらドラ〈3!〉 (電撃文庫)
              (2:電撃文庫,2006年5月)
               【Amazon.co.jp】

              (3:電撃文庫,2006年9月)
               【Amazon.co.jp】

              亜美ちゃん初登場の巻と、亜美ちゃん大活躍の巻。

              じつは、最初の巻を読んだあと、続きに進む前に、夫がハードディスクに録りためてあったアニメ版を発見して、22話まで観てしまったのでした。話が佳境になってくるにつれて、なんとなく「いやいや、やっぱりここからは先に原作で!」という気になってきたので、ぐっと我慢して23話以降は観るのをやめた(って、前述のとおり先に最終回の第25話を観ちゃってるので、観てないのは実質的に残りたったの2話なんだけど)。

              なので、アニメが原作のストーリーに忠実なのであれば、この辺はあとの流れを大体、把握している状態で読んでいます。

              そんでもって。そうやってラスト近くまでのストーリーを追ってしまったうえで言わせていただくと。竜児の周囲の女の子たちのなかで、私がいちばん好きなのは、もしかしたら川嶋亜美ちゃんかもしれないなあ、と思うのです。好きというか、応援したくなるのは。要するに判官びいきってことかもしれないけど。

              この2〜3巻では、のちのちの切ない展開への流れはほとんどほのめかされることなく、ただただ亜美ちゃんの裏表の激しい性悪っぷりがテンポよく描かれます。

              個性激しい女の子たちに囲まれて、振り回される竜児の繊細さ、面倒見のよさ、気の優しさが際立っている。
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                吉永みち子『母と娘(こ)の40年戦争』

                母と娘(こ)の40年戦争 (集英社文庫)
                (集英社文庫,2000年11月/親本『風花の人 亡き母と私』中央公論社,1994年10月)
                【Amazon.co.jp】

                サブタイトルは「母ひとり娘ひとりの、愛と葛藤の日々」。ノンフィクションライターである著者が40歳のときに、80歳となったお母さんが旅先で急死してしまい、その後、改めてお母さんの人生や親子関係について思いをめぐらせて綴ったもの。

                ここに書かれている、吉永さんとお母さんの関係は、母子家庭で世間からあれこれ言われやすいと思われる立場だったり、半分だけ血がつながっていたお兄さんやお姉さんとの交流が(お母さんの意向で)途絶えていて、ふたりのあいだに入ってくれる人がいなかったりといった特殊事情のせいで増幅されている部分が大きいとは思います。

                あと、吉永さんが生まれる前に、実は幼くして亡くなったもう一人の娘(吉永さんの姉)がいて、お母さんが常にその子を理想化して吉永さんとどこか比べてしまっており、その一方でもう一度娘を失ってしまうことを極度に恐れている、というのがとてもやるせない。

                でも、母親と娘の関係のこじれかたという点では、普遍的な部分もあるのかなあとも感じました。性別が同じなだけに、愛情と束縛(というか、母親自身の延長線上に娘を見てしまって自分の身体をコントロールするように娘をコントロールするのが当たり前になってしまう感覚)がつながりやすいのかな、とか。

                「娘が幸せなら自分も幸せ」という気持ちが、いつのまにか「自分が幸せなら娘も幸せのはず」に逆転して、さらには「母親の理想に沿った生き方をしてくれない娘は母親を不幸にしようとしている」、「母親を幸せにしない娘は自覚がないままに本人も不幸なはずでかわいそう」になっちゃってるというか。で、娘のほうは「私は自分のやりたいことをしているんだから、かわいそうじゃないよ」とか「お母さんをないがしろにする目的で自分の生き方を選んでるわけじゃないんだから」とか母親を納得させるために、本来ならしなくてよかったはずの無理をしまくってフラフラになってたり。

                吉永さんは、お子さんもいる40歳になった時点でもまだ、お母さんとの関係がぎこちなくて、お母さんの怒りを恐れるあまり過度にお母さんの要求に応じてしまったり、その一方で反発して棘のある言葉を吐いてしまったり……という状況から抜け出せていませんでした。

                私自身も、父親が長らく日本国内で働いていなかった関係で、一時期かなり「母子密着型」の母娘関係にハマっていて、そして吉永さんがお母さんを亡くしたのと同じ40歳が近くなってきた現在も、いまだにときどき亡母には複雑な思いが湧き出てくるという自覚があるんだけど、それは別に、亡母と本気で対峙する前に相手が弱って死んじゃったからとか、私自身が結局、母親にはなれてないから「子を持った母」の立場が本当には分からん……というだけの理由でもないのかなあという気がしてきた。

                ただ、自分自身が歳をとっていくにつれて、ある意味「諦め」の境地が視野に入ってくるというか。相手の時間はもうとっくに止まってしまっているので、関係を変えるには自分自身が相手の心情に寄り添ってそのまま受け入れるしかなくなっているというか。

                吉永さんがこの本を書いたのは、お母さんが亡くなってわずか2年後で、それまでの「40年戦争」を知ると、その時点でここまで分析と達観ができているのは、さすがです。しかしそれでも、文庫化に際して新たに書き加えられたその後の部分を読むと、お母さんとの関係によって家族全体に生じていた歪みをうまく修正することができず、お母さんの死後も、ふたたび「リングから降りられる」ような気持ちになるまでに、さまざまな嵐が吹き荒れたことが分かります。

                結局、親子の関係にベストな回答なんて、ないのかもしれないなあ。ただそのままに受け入れて、いつか穏やかな気持ちになれることを祈るしか。そこに至るまでの近道を、見つけられる人もいるし、見つけられなくて遠回りしちゃう人もいて。下手すると、到達しないまま時間切れで。あるいは、到達したときには代償としていろんなものを失っていて。だけど、近道を通れたからその人がエラいってわけじゃないと思うんだ。そう思わないと、救われない。
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                  米原万里『言葉を育てる 米原万理対談集』

                  言葉を育てる―米原万里対談集 (ちくま文庫)
                  (ちくま文庫,2008年9月)
                  【Amazon.co.jp】

                  ロシア語会議通訳者から作家になり、2006年に56歳でお亡くなりになった米原万里さんの対談集。対談相手は、小森陽一、林真理子、児玉清、西木正明、神津十月、養老猛司、多田富雄、辻本清美、星野博美、田丸公美子、糸井重里(敬称略、掲載順)。

                  どの対談を読んでいても、本当にまっすぐで力強くて、守備範囲が広くて自分の価値観が揺らがない(あるいは、揺らぐ瞬間を他人に見せない)人だったんだなあという印象です。

                  あと、在プラハ・ソビエト学校で過ごした少女時代が、彼女のその後の人生を方向づけるうえで、本当に本当に大きな意味を持っていたんだ、ということに改めて感じ入りました。

                  イタリア語通訳者で、もともと米原さんと仲良しだった田丸公美子さんとの対談は5回分が掲載されており、どれも「通訳」というお仕事の内情がうかがえて興味深かった。

                  個人的にたいへん驚いたのは、神津十月さんとの対談(2005年)のなかの、以下のくだり。

                  以前、同時通訳講座のカリキュラムには、ほぼ間違いなくシャドーイングという訓練が組み込まれていた。アナウンサーの話している言葉とまったく同じ言葉を二、三秒の遅れをとりながら、影のようにオウム返しに繰り返していくの。でも、現在、この方法は「百害あって一利なし」と言われている。

                  私がその手の学校に通っていた1990年代半ばだと、おそらくまだまだシャドーイング全盛時代で、翻訳講座においてさえ、「外国語の文章の自然なリズムをつかむうえで有効」としてシャドーイングの練習が奨励されていました(私がいたクラスを受け持っていた先生がもともと通訳と翻訳と両方やってる方だったからかもしれませんが)。そうか、いまはもう、あれやってないのかー。いや、私あれすっごい苦手だったんで、やらなくてよいものだったんだと言われてちょっとホッとしましたが。ただ、一利なしとは言うが、口の筋肉の鍛錬くらいには、なったかもしれないなあと自分では思います(笑)。やらなくなったら、あっというまに元の木阿弥ですけれど。

                  巻末には、ロシア語通訳のお仲間だった黒岩幸子さんという方が米原さんの人となりを語った追悼文が収録されていて、これがまた、読み応えのあるものでした。
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                    岩合光昭(写真・文)『ちょっとオランウータン』

                    ちょっとオランウータン
                    (小学館,2009年6月)
                    【Amazon.co.jp】

                    これまで動物園でぼんやりと眺めたことしかなかったオランウータンですが、密林での本来の暮らしぶりや生態の説明がとても興味深かったです。知らなかったことがたくさんあった。それだけ、イメージばかり先行していて馴染みのない動物だったんだなあ。

                    思った以上に、人間にも理解でき(るような気になれ)る豊かな表情を持った生き物であると知って、ちょっと驚きました。

                    本書によると、地球上の熱帯雨林の減少がいまのペースで進むと、あと20年で野生のオランウータンは絶滅してしまう可能性があるそうです。しかし一方では、オランウータンを守るための人間による活動も熱心に行われています。そしてそんな活動の場で撮られた、仔オランウータンが集団になってる写真(オランウータンは一般に群れないので、本来の自然のもとでならありえない光景)とか、人間が使っているバケツやブラシを手にしてあれこれやっている写真が、異様に微笑ましくて、なんとなく複雑な気分。

                    でも見る側のその複雑な気分まで計算に入れての構成なんだろうな。そういった、一方で人間によってオランウータンの住処が奪われつつあり、その一方でオランウータンを守ろうとする人間も存在するという、せめぎあいの状況すべてをひっくるめた、オランウータンたちの現状を伝える写真集。
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                      管理人ならのが、そのときどきに考えたことや興味を引かれたもの、読んだものなどについて、心のおもむくままに、だらだらと綴るところです。心がおもむかないときは、更新停止しています。

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                      • 2016年3月に読んだものメモ
                        ならの
                      • 2016年3月に読んだものメモ
                        かえる 改め きと
                      • 2014年1月〜2月に読んだものメモ
                        ならの
                      • 2014年1月〜2月に読んだものメモ
                        かえる
                      • 2013年8月に読んだものメモ
                        ならの
                      • 2013年8月に読んだものメモ
                        かえる
                      • 2013年4月に読んだものメモ
                        ならの
                      • 2013年4月に読んだものメモ
                        walkman
                      • 2年が経ちましたね
                        ならの
                      • 2年が経ちましたね
                        To-ko

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