白石公子『はずかしい』

はずかしい
(白水社,2004年12月)
【Amazon.co.jp】

20代前半から半ばくらいの頃、白石公子さんのエッセイが大好きでした。しんとした夜に、ゆっくり読むのが似合う文章だったなあ、と思う。そのことをふと思い出して、最近のものを読んでみたくなった。

最近って言っても2004年なんだけど、単独のエッセイ集としては、これがいちばん新しいみたい。

白石さんも、40代になったんですね(そりゃ、私も30代になったからな)。相変わらず一人暮らしをなさっていて、日々のちょっとしたことに細やかに目を留めたり、ツッコミを入れたり、自分の心の動きをじっと見つめたりしていらっしゃるのだなあ。

なんだか、ずっと会っていなかった知り合いの人の近況を知ったような、ほのぼのとした気持ち。
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    ロビン・マッキンリイ『サンシャイン&ヴァンパイア』上・下

    サンシャイン&ヴァンパイア〈上〉 (扶桑社ミステリー)サンシャイン&ヴァンパイア〈下〉 (扶桑社ミステリー)
    (上)【Amazon.co.jp】
    (下)【Amazon.co.jp】
    (訳:藤井喜美枝/扶桑社ミステリー,2007年11月/原書:Robin McKinley "Sunshine" 2003)

    "Rose Daughter" を読んだあと、そういえばマッキンリイって、最近どっかから新規に翻訳が出てなかったっけ、と探してみたら……すみません、「最近」じゃなくて「一昨年」でした。

    主人公のレイ(通称サンシャイン)は、母親の再婚相手が経営するコーヒーハウスで働いている若い女性。朝の4時に起き出して深夜に帰宅するまで、週1の休日を除いてはひたすら名物の《頭くらい大きなシナモンロール》をはじめとして、《キャラメルの大洪水》、《ロッキーロードの雪崩》、《地獄の天使(エンゼル)ケーキ》、《殺し屋ゼブラ》といったユニークな名前のパンやケーキを焼きまくる毎日です。

    最初、舞台はアメリカのどこかにある普通の小さな町みたいだし、おお、マッキンリイで現代モノって初めてだ! と思ったのですが、しばらく読み進むと、ここが正確には、ヴァンパイアや獣人や妖精などが実在し、ヴードゥー戦争と呼ばれる「人間対ヴァンパイア」の全面戦争を経てまだその傷から人間界が回復しきれていないという設定の、パラレルワールドであることが分かってきます。

    「魔物が実在する」という前提があるため、法制度や社会構造や人々の常識、はたまたこの物語のなかでは《世界(グローブ)ネット》と呼ばれているインターネットなどの技術のありようも少しずつ、読者がいるこちら側の世界とは違っているのです。

    またヒロインによる饒舌かつちょっと皮肉っぽいモノローグで物語が進むのもあって、本作でのヴァンパイア描写には、何かこう、ほかのヴァンパイア小説でありがちな耽美的雰囲気を感じさせる要素がありません(笑)。この世界におけるヴァンパイアは、人間側から見て、はっきりと「異形」です。見た目も内面も、人間とは隔絶した別種の恐ろしい生き物として認識されています。

    ところが、平凡なパン職人だったはずのサンシャインは、ある晩ふと魔が差していつもと違う行動をとったばっかりに、本当の父親から受け継いでいたけれどずっと封印していた特殊な力を目覚めさせ、さらにはある一人のヴァンパイアとのあいだに、本来ならありえないような「きずな」を持つことになってしまいます。このヴァンパイア、コンスタンティンもまた、ヴァンパイア族のなかでは異端の立場にありはするのですが。

    別のヴァンパイアを共通の敵として、生き延びるために共闘するパートナーとならざるをえない、コンスタンティンとサンシャインの、ずーっと噛み合わないんだけど、ふとした拍子に一瞬だけ何かが通い合うような、ぎこちないやりとりが、なんだか妙にツボでした。

    サンシャインには、ちゃんと人間の魅力的な彼氏がいるし、コンスタンティンにとっても、人間の女性というのは完全に自分とは別種の生き物で、お互いあまりにも「対象外」なわけなんだけど、それでも、どこか、かぎりなくほのかなロマンスの芽生えに近いような、むずむずするような戸惑いと探り合い。太陽の光に当たると瞬時に死んでしまうヴァンパイアが、「わたしのサンシャイン」とか言っちゃう時点で、なんかもう、「うわーーーっ」と、のたうちまわりたくなるような!

    そして、ふたりのきずなとサンシャインの能力が変容していくにつれて、なんの変哲もなかったはずのサンシャインの周囲の世界にも、謎が見え隠れするようになってきます。これが、なんだかじわじわと怖かった。いや、厳密に言えば、怖いというのはちょっと違うんだけど……これまで自分の目に見えていたものが、そして自分自身さえもが、すべて本当は思っていたのとはぜんぜん違うものなのかもしれないと悟り始めるときの、とらえどころがないんだけど確実に存在する心もとなさ。

    そんななかでも、あくまでも「プロフェッショナルなパン職人」であり続けようとするサンシャインが、いじらしい。

    なんかね、もうね、敵意を向けてくる人も善意を向けてくる人も、ほとんどみんな、「裏の顔」がありそうなんですよ! サンシャインの彼氏さん含めて! なのに結局、そこはかとなくほのめかされた謎は、ずっと明言されない謎のままで、気がついたらエンディングまで行ってしまってるんですよ! これ、続編、出るのかなあ。訳者あとがきによれば、作者は書きたいと言っているそうなんですけど。ぜひとも書いてほしい。

    あと、直接このお話には関係ないんだけど、最初のほうでサンシャインが、「一番好きなおとぎ話」を尋ねられて『美女と野獣』と答えるくだりがありました。いやそれ、ヒロインがっていうより、作者が好きなんだろー! と、ちょっと笑えてしまった。マッキンリイって、"Beauty""Rose Daughter" と、『美女と野獣』を下敷きにした小説を2作も書いているものねえ。そりゃーもう、よっぽど好きなんだろうと思うよ。

    そしてさらに読み進んでいくと、今度はサンシャインが、

    あたしはいつだって、お姫さまがただ救出されるのを待って、なにもぜずにぶらぶらしているような話を軽蔑していた。『眠り姫』とかは本当にかんべんしてほしい。あの愚かでつまらない弱虫のお姫さまに、とっとと目をさまして、自分で悪い妖精を懲らしめてこいと、だれか言ってやってくれないだろうか。

    なんてことを考えてるページがあるのですよ。ふむふむ、たしかに、これまでに読んだマッキンリイ作品で、ヒロインがただただ救出されるのを待っているようなものは、ありませんでした。これもサンシャインに言わせているけど、じつはマッキンリイ自身の嗜好だと考えてよいんじゃないかなあ。

    ってわけで、マッキンリイの「おとぎ話シリーズ」(と、勝手に認識してる)のなかの1作、『眠り姫』がベースになっているという "Spindle's End" は、いつか絶対に読まねばなるまい! と心のメモ帳に書き込んだのでした。どんな『眠り姫』になっているのか、興味津々です。
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      Robin McKinley "Rose Daughter"

      Rose Daughter
      (Ace Books, ペーパーバック1998年/ハードカバー1997年)
      【Amazon.co.jp】

      感想を書く順番が前後しましたが、大晦日からお正月のあたりに読んでいた、今年最初の読了本。

      ボーモン夫人の戯曲やディズニーのアニメで有名な、フランス民話「美女と野獣」の再話バージョンです。

      実は、マッキンリイはこの作品を出す20年前にもすでに一度、「美女と野獣」をベースにした小説 "Beauty: A Retelling of the Story of Beauty and the Beast" を書いて、それで1978年にデビューしています。

      同じお話がもとになっていますから、あらすじは基本的に同じ。大きな街でゴージャスな生活を満喫していた裕福な商人とその3人の娘たちが、商人の仕事が破綻したため田舎で質素な暮らしを余儀なくされることとなる。そして商人はある吹雪の夜、不思議な館に迷い込んでそこで食事と寝床を提供されるが、帰り際に何気なく薔薇の花を一輪、末娘への土産にと無断で手に取ってしまったがために、その末娘が館のあるじである「野獣」と暮らさねばならなくなる――

      原典では、野獣の館で贅沢な生活を送る妹に嫉妬する俗っぽい人たちだったお姉さん2人が、妹の幸せを心から祈る善良な女性たちとして登場するのも、2冊に共通しています。マッキンリイは、どうしてもお姉さんたちを「いい人」にしておきたいらしい。

      ただ、「ヤングアダルト向け」と分類されていた "Beauty" と比べれば、今回読んだこちらのほうが、ちょっと込み入った設定が持ち込まれているのと、日々のあれこれがこまごまと書き込まれているのとで、ずっと読み応えはありました。

      また、個性的な3人姉妹の性格も、がらりと変わっています。"Beauty" では、ヒロインは馬と書物が大好きな利発で元気いっぱいの女の子でしたが、この "Rose Daughter" では、その性質はどちらかというと、馬の扱いに天賦の才を持つ凛々しく勇ましい長姉Lionheartと、弁舌するどく手先の器用な次姉Jeweltongueに割り振られている感じです。

      肝心のヒロインBeautyは、物静かで繊細な子。自分の呼び名がBeautyなのは、別に突出して美しいからじゃなくて、街で仕事を見つけてお金を稼いでくるお姉さんたちみたいな特技がないから、ほかに褒めるところがないからだ……なんて思っちゃうような、謙虚な娘さん。

      でも芯のところは、マッキンリイ作品のほかのヒロインたちと同じくしっかり者です。商売が行き詰って茫然自失状態に陥ったお父さんのために、ただ独り黙々と書斎にこもってすべての書類に目を通し、必要な書簡を代筆し、住んでいた大邸宅を売却して田舎の小さなボロ家に移り住む手はずを整え、一家が路頭に迷うのを防いだのは、姉妹のなかでいちばん辛抱強い、この末娘Beautyなのですから。

      そして何より、Beautyには、植物を育てることに対する、ものすごい情熱と才能があるのです。この世界では魔法使いしか育てることはできないとされている、ありとあらゆる種類の薔薇の花を、献身的な世話で満開にさせてしまうほど。

      そして、この物語の「野獣」の館には、いまにも生命力が尽きそうになっている薔薇の木でいっぱいの、大きな温室がありました。

      ってなわけで、ページ数をかぞえたわけじゃありませんが、印象だけで言えば、実質この本の半分以上は、ヒロインの「園芸日誌」だった……という気がしてなりません。最初は一家で引っ越した先の、荒れ果てていた小さな家で。そしてその後は家族と引き離されて暮らすことになった野獣の館で。ジャングル状態のつるを刈り取り、結わえ、挿し木をし、水をやり。その辺の手順が、実に実に詳細かつリアリティたっぷりに書き込まれているのです。

      とにかくヒロインの価値観が、ひたすら「ガーデニング>その他」って感じなのが、なんともスタンダードな「おとぎ話」を逸脱しています。口に出すだけで望みのものがすべて手に入る野獣の館では、その気があれば豪奢なお姫様生活だってできちゃうってのに、毎日どろんこの汗だくになって動き回り、薔薇の棘で両腕がみみず腫れだらけになろうが、おかまいなし。傷だらけになった白い肌を見て、むしろ野獣が動揺する始末。

      着るものも食べるものも、すべてどこからともなく勝手に現われてくる魔法の館において、なんだかヒロインが妙に「チーズはどこから来るのかしら」ってことにこだわり始めたなあ……と思ったら、「近場に牛がいるのならその排泄物から堆肥が作れるわ!」という理由だったなんて、びっくりだよ(笑)。

      あとは、薔薇! 作者の薔薇への思い入れをひしひしと感じた! ヒロインと、ヒーローたる野獣とが、共に愛してやまない薔薇の花が、色合い、かたち、香り、手触り……さまざまな感覚に訴えかけるよう描写されており、その過剰なほどの言葉の連なりが、とても美しい。多種多様な薔薇たちを、まざまざと思い浮かべることができてしまう。

      そして野獣はデビュー作バージョンと同様に、大きくて無骨な身体のなかに、繊細で高潔な魂を宿した紳士なのでした。彼は原典と同様に、呪いをかけられて魔法の館に捕らわれているわけですが、この呪いを解く者としてやってきたヒロインの最後の選択には、ちょっとばかりヒネリが入っています。

      個人的には、ジャン・コクトーの映画版『美女と野獣』の最後のほうで、主役のジャン・マレーがジョークとして口に出すセリフ(このシーン、すっごい好きだったんだー!)を思い出して、かなり嬉しかったりしました(ネタバレすれすれ)。
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        平安寿子『恋愛嫌い』

        恋愛嫌い
        (集英社,2008年10月)
        【Amazon.co.jp】

        年齢も職種も性格もバラバラだけど、なにかウマが合ってランチメイトとなった独身女性3人が、順繰りに主人公になる連作短編集。

        手垢のついた(そしてそのうち廃れることが明らかな)表現を使うなら、この3人の共通点は、恋愛の「フラグ」を折りまくってしまうタイプであることです。

        そういう人、いるいる、いそうだなあ……と面白く読みました。というか、ここで書かれているそれぞれのヒロインたちの、世間の求める(独身)女性像と恋愛への積極性から少しずつずれていく自意識も苛立ちも頑なさも迷いも困惑も、そしてそんな自分を肯定してしまいたい気持ちも、みんな、どこか少しずつ、私のなかにもあるよなあ、と。そういえば、結婚していちばんラクになったのって、世間から「恋しているべき! 相手がいないなら積極的に探すべき!」的なプレッシャーをかけられなくなったことだよなあ、と自分を顧みてしまった(笑)。

        あと、個人ブログを持っていたり、そのブログを介して知り合った人とオフで会ったりといったことが、まったく特殊でないこととして、一般向けの小説でごく自然に出てくるようになったんだねえ……と、いまさらながら、なんだか感慨深かった。
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          西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』

          この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ) (よりみちパン!セ)
          (理論社,2008年12月)
          【Amazon.co.jp】

          前に読んだ小倉千加子の本と同じく、ヤングアダルト世代を対象とした「よりみちパン!セ」シリーズのなかの1冊。

          生まれてから死ぬまで、関わりをもたずにいることは不可能な「お金」と、どう向き合っていくかについて。また、それとともに、いままでいろんな漫画作品で断片的にしか読んだことなかった、西原さんの生い立ちが、読者として想定されている若い人たちに語りかけるような文体で綴られています。

          読んでて、ああ自分は少なくとも、西原さんとはまったく違う風景を見て育ってきたんだなあ、自分はぬくぬくと甘ちゃんな人生を送ってきたなあ、とつくづく思いました。そしてその西原さんですら、周囲のほかの子たちと比べて恵まれていた部分もあるんだということに打ちのめされました。

          私より6つ年上で地方の漁師町に生まれ工業団地の町で育った西原さんが描写する「貧困」と「どん底」の世界を、私はたぶん、どんなに真に迫った微に入り細にわたる文章で説明されて、どんなに衝撃を受けたとしても、本当の意味では理解できていないんだろうと思う。いや、正確には、理解できている/できていないという判断すらおぼつかなく、ただ「分かる」と言い切ってしまうのはとても傲慢なことのような気がしている。

          そんな、深淵をのぞき込むような崖っぷちを渡ってきて、さらに自分の基盤をつくりあげると今度は「世界の裏側を知りたい」と考えそれを実践している西原さんだから、ああいう作品が描けるんだろう。パッと見は無造作にささっと描かれたかのような作風を常に保っている西原作品ですが、私は読むたびにいろんなエネルギーを消耗して、ぐったりと疲れてしまいます。そういう人は、けっこう多いのではないか。

          それを思うと、何事も人間は、絶望さえしなければ自分の肥やしにしていくことができるのだなあと感じ入るのです。しかしながら、では私のような、そこまでの闇を見たことのない甘ちゃんな人間は、どうなるのかというと。

          たぶん、そのままいけばそれなりに幸せでローリスクローリターンな、(少なくとも西原さんに比べれば)起伏のなだらかな人生送っていくんだろうなあ。いろんなことのあった少女時代を経て都会に出てきた西原さんの周囲には、ご夫君であった「鴨ちゃん」を筆頭とする、同じく凄絶な人生を送ってきた人たちとの深い縁が形成されていくわけだけど、おそらく私は、そういう人たちともし接点を持ったとしても、決して対等に渡り合うことはできないだろう。

          そして私は、そんな器の小さい自分と自分の人生に、いまはもう、わりと納得している。身の丈に合ってるので、これでいいよって。

          いやもうほんと、これ読んでるあいだ、私ってば小心者の小市民、大物の素養ゼロ……ってことを何度も思いました(本書の趣旨からはかなり外れた感想ではありますが)。

          たとえば、『まあじゃんほうろうき』(私は未読)を描いていらっしゃった頃の話。「自分でちゃんと痛い思いをしながら描かなかったら、お客さんにも笑ってもらえない」と、作品を描くために身銭を切って麻雀の勝負して、結果トータルで5千万円持っていかれた、という。それで西原さんは、ギャンブルの魅力と怖さを身をもって知って、魅力的な師匠にも出会って、それはちゃんとその後の芸にも人生にも活かされているわけなんだけど。

          すみません、ワタシ的にはまず、単身で都会へ出てきたばっかりのハタチやそこらの小娘に毛が生えたような(失礼)新人漫画家をつかまえて、「身銭を切ってギャンブルしてこい」という企画を持ちかける編集部(≒オトナ)って、ありえません(いや、実際にはありえちゃったわけだが)。

          面白みのないヤツと嗤われるだろうが、そういう企画を立ててる人間が知り合いだったら、どうせ聞いちゃもらえないと分かっていても、自分の心の平安のために、一度は抹香臭く説教がましいことを言ってしまいそうだ。でもそれはきっと、その仕事で食っていくことができるようになった当の西原さんにとっては、めちゃくちゃ余計なお世話なのだ。そのことに、もう眩暈がしそうな絶望に近い感情が湧いてくる。うーん、なんていうか、そこそこファンのはずなんだけど越えられない壁がそびえているなあ、という。

          ちなみに私のギャンブル経験って言うとさあ、若い頃、ちょっとした興味で友達にくっついて行った競馬場で、ここまで来て見てるだけというのも連れてきてくれた人に失礼だろうかと「なんか可愛い名前のお馬」を何頭か選んで100円ずつ賭けたら、それらの馬券の1枚が5000円に化けるという経験をしているわけですよ。典型的なビギナーズ・ラックです。

          で、私のような小市民(つーか、単なるケチ?)タイプの人間は、それでどうなるかと言うと。ギャンブルの面白さに目覚めるなんてことは絶対になくて、
          「せっかく、賭けごとに手を出してプラスで終われたという得がたい体験をしたのに、これからもギャンブルを続けたら、そのプラス分が目減りしてしまうではないか!」
          と、ものすごく惜しくなるんですね。いまここでやめておけば《勝ち逃げ》だ、と。

          おかげで、その後の十数年間、宝くじの1枚すら買ったことがありません。ギャンブルで得たのと同じお金をギャンブルで失うなんて(たとえ5000円でも)悔しすぎて許せんのです。いや、もちろんあのとき受け取った「お札」そのものは、とっくに使用しちゃってるけどさあ。リスクと魅力が表裏一体の高揚感? お金がつづくかぎりはなかなかやめられない? なんですかそれ?

          動かしたお金がたったの「100円」だったからこそ、高揚感を覚えるというレベルまで行かなくて(でも「倍率」で考えるとけっこうすごくない?)そんなふうに思うのかもしれないけど、でもそもそも私は、そういう「100円スケール」な人間なのだ! そういうふうに、長いことかけて育ってしまったのだ! そういう人間は、西原さんのようなハイリスクハイリターンな世界には、絶対に手を出しちゃ駄目なんだなってことは、よく分かった。

          西原さんが断言する、「自分で努力しないで手に入ったお金(いわゆる「あぶく銭」)は、あっという間に使ってしまうもの」という考え方も、そういう使い方をしてしまう人が世間にいるという知識はあっても、私にとってはあまりピンと来ないものです。実際、20年近く前に手に入れた、ちょっとまとまったお金(世間的に見ればショボい額かもしれんが)を、無職で病気持ちのくせに一人暮らししながら自費で学校に通っていた頃だって決して崩すことなく、勤め人時代の貯金でちまちまと貧乏生活することによって守り抜き、いまも別通帳にして後生大事に仕舞い込んでいます。

          だってさ、「働いて手に入れたお金」は、(すごく単純化して考えると)消費してしまっても「もう一度働けば補填できるもの」なのに対し、「たまたま手に入れたお金」っていうのは、基本的に「もう二度と手に入らないもの」なんですよ!? そんなスペシャルなものを、そうそう気軽には手放せないというのが、私の感覚です。ああ、書けば書くほどローリスク志向な小心者の自覚が(笑)。

          ただ、ここまで考えたところで、ある意味では私も、西原さんとは逆方向からのアプローチで、結局「働くこと」に対する信頼があるのかなあ、とも思いました。「働けば、その対価としてお金が手に入る」というシステムに対する信頼、かな。最初は、「信仰」という単語が浮かんだくらいに強く、私は「働くこと」には希望があると思ってる(いま無職だけど!)。

          そうなんだよなー。生き方の凄みも言葉の持つ重みも、勝負に出たときの度量も人間としての器も、私からすれば気が遠くなるほど西原さんのほうが「大きい」んだけど、お金と人間関係が直結することに対する感覚、そして(西原さんはこんな言葉、使いませんが)お金の「きれいな稼ぎかた」と「きれいな手放しかた」みたいなことに対する感覚は、私自身が感じてきたこととも共通していて、納得がいくものなのだ。

          人生における起伏の大きさに関係なく、自分の持つ器ではどうにもならないほどの深みまでは堕ちないようにしながら世の中を渡っていくための、基本路線っていうのは、あるのかもしれないね。

          なんにせよ、これ読んでて改めて自分の甘ちゃんぶりとローリスクローリターンな地道志向を自覚したので、これからも停滞しすぎないようにしつつ(なぜなら、動けずにいることもまた、リスクの1つになり得るからだ)、身の丈をはみ出すようなことはするまいと、自分の立ち位置を見つめなおして決意を新たにした次第です。そのボーダーラインの見極めが難しいんだけどさ。

          そして、本書の本来のターゲットであるヤングアダルト層は、これ読んでもいまはまだ実感できないことが多いかもしれないけれど、いろいろと蒙をひらかれる点が多いんじゃないかなあ。先が見えない時代に向けて大人になっていく子たちに向けて、何に直面しても自分で考えることを諦めず、希望を持ち続けてほしいってことを、これだけのやさしさと力強さをもって言えるのは、西原さんのような人だからこそなんだと思う。
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